本人と一緒にギターリサイタル [活動報告]
今日、東京文化会館にて荘村清志さんのギターリサイタルに、佐藤雅彦さん(当事者)と一緒に鑑賞してきた。
佐藤さんとは18:30に上野駅公園改札口にて待ち合わせをし、お互いに初めてであるギターリサイタルなるものを始まる前から楽しんだ。
19:00開演だったのだが、既に人で溢れかえる入場口。「一番前に並んでいる人は何時から立っているのだろうね?」などと会話しながら順番を待つ。
ようやく会場ホールに入れたかと思うと、いわゆる“良い席”は“ご招待席”として座れなかった。仕方なく、それでも残りの席から良い席を確保して開演をドキドキしながら待った。
開演してしまうと写真撮影や録音ができなくなるので、開演前にパシャっと1枚。すると佐藤さんも「僕も」と携帯電話で写真をパシャ。
↑開演直前に慌てて撮ったのだが、佐藤さんは冷静。
途中休憩を挟み21:00閉演、佐藤さんとは上野駅で別れた。そして40分後、私の携帯が鳴り「無事に家に着きました」とメールが送られてくる。
メール「無事に家に着きました。今日はギターコンサートにご一緒くださり、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。」
佐藤さんは普段から、『認知症でもまだまだ出来ることはたくさんあります!』と訴えてきているのだが、自らそれを実践して見せてくれている。もちろん、日常生活の中で困る部分や躓く部分もあるのだろうが、ほんのわずかな支援があれば、好きなことや楽しみを続けていくことができ、そうすることで生活にも張りが出てくるのではないだろうか?
佐藤さんには人として、先輩として、見習う部分が多い。また僕が教えられることや、励まされることも多い。
私が今日の待ち合わせ予定をメールで佐藤さんに送信したところ、佐藤さんより「前田さん日にちが間違ってます。」と指摘もしてくれる。本当に頼れる兄貴だ。
認知症になっても、今までと変わらず人対人の関係性、その大切なことを佐藤さんから学ぶことができる。だからこそ、ここでは兄貴と呼ばせてもらった。
認知症になっても自由に好きなことや楽しいことができ、お互いを支え合いながら、迷惑を気軽に掛け合うことのできる社会がもっともっと身近になって欲しい。
できることから始めよう。
だって、僕らもいずれは認知症になるのだから。
そうですね。わたしもそういう社会気風がいいなあと思います。
by ayako (2011-05-28 19:49)
荘村清志さんのコンサート、よかったでしょうね。
(わたしもファンなんです)
佐藤雅彦さんは、家族の会のぽ~れぽ~れでよませていただいて私も勇気をもらったんですが、ほんとにパイロットですよね、この病気の人達の。もちろん私の。
私思うんですが、やはり早く病気に気がつくことだと。
早期発見って言いますが、この病気こそそうですよね。
北海道はGHが多く協会も研修やなにやらしっかりしていますが、入居してきた人とふれあっていると
やっぱり、家で気ままに暮らせたらなあと思うんです。
こうやって一緒にコンサートに行ってくれる人がいたり、一人じゃ自信なくなってきたことを一緒にやってくれる人がいれば、何とか ある時期までは自分らしい暮らしが出来るんじゃないかと思うんですよね。
GHもいいけど、やっぱり介護される人になっちゃうんですよ。安心、安全を追求するあまり・・・、なんか見落とされてしまうんじゃないか。
こちらでは、牛の放牧が始まりました。
GHから少し走ると、入居者さんの持ってた牧場があります。そこへ連れて行くと、もう別人のように目が輝きからだが動くんです。そういうの見てしまうとねえ・・、訪問介護の枠が生活とか身体介護とか決められてしまって、あれはだめとかこれはだめなんて言う今のようじゃなく、その人にとって必要なことが出来るようになるといいなあと思います。
そうじゃなければ、その人のしたいことをサポートしてくれるシステムがあってもいいですよね。
長々とすみません、私にしてみれば珍しく重い愚痴を書いてしまいました、ど~も。
by 岸野すみれ (2011-05-29 09:39)
>岸野すみれさんへ
その人にとって本当に必要なことが出来るサービス。最強、最良のサービスですね。
それを提供できるようになるには、ケアマネの質が上がらなければ・・・。どうもケアマネによっては“当たり外れ”が多くあるように思えます。
もしくは、介護保険以外で地域のコミュニティーを再構築してみるとかのインフォーマルサービス等を利用してみるとかが考えられます。
いずれにしても、やっぱり大切なことが置き去りになってきている気がしますね。
自宅が一番という人は実際に多いでしょう。それでも極僅かではありますが、「養老院が良い。」と言う人もいます。本心かどうかはわかりませんが、自宅が一番と決めつけるのはどうでしょうか?
それでも、自宅が一番と思ってしまうような現実を目の当たりにされると、「やっぱりそうだよね」と思ってしまいます。
特に輝いている姿がそこにあると、尚更ですよね。
言っていることが矛盾しているかもしれませんが、でも実際そうなんですよ!
GHも特養も有料も、どこも自宅での生活に近付けるよう工夫と努力を繰り返しています。それでも自宅には勝てません。
自宅には勝てないけど、ここでなら自宅より勝てる部分(楽しみ/生きがい/友人/等々)があるという場所なら、私が入所しても良いかなと思える場所なら、新しい自宅になるのではないかと思っています。
一緒に、これからの日本における認知症ケアの視点を変えていきましょう!
by Maechan (2011-05-30 12:43)
>ayakoさんへ
そういった社会をつくることで、認知症になっても安心して暮らせるようになりますね。
失敗しても「ドンマイ!」と気軽に言い合えるような社会。お互いに「ドンマイ!」と言える社会。何か温かいですね。
by Maechan (2011-05-30 13:00)
あ、それはそうです。決めつけてる訳じゃないです。
来て生活してみると、こんなところがあるんだね、と
言ってくれる人はいます。一人の寂しさや、いろんな心模様を抱えて引っ越してくるわけで、やっと安心してにこにこしてる人もいます。
だから、施設にもよると思いますが、お年寄りの心の底にちゃんと向き合える自分たちでありたいなあと思うんですよ。実際はなかなか、ですけど・・・。
自分の中の理想を消さないことで、やっとやってるっていうところです。
それに、都会と違って訪問介護って言うのは北海道じゃ大変なんですよ。
移動がね、半端じゃないから。一時間の援助のために往復一時間半かかるなんて事ざらですから。こまめに援助しようとしてもなかなか町場から離れると出来なくなる事情もあるんです。
by 岸野すみれ (2011-05-31 03:51)
>岸野すみれさんへ
「お年寄りの心の底にちゃんと向き合える自分たちでありたいなあと思うんですよ。」という言葉、温かいですね。
心の奥深くには不安、想い、希望等がたくさんあるのだと思いますが、なかなか見せてはくれない。だからこそ、向き合える、寄り添える心を持った人たちが必要なのです。
中には表面しか見れない介護福祉士や認知症ケア専門士もいるくらいです。
人と接するときに大切なのは資格じゃなくて、気持ちとか心ですよね。「私は○○士です」と接する人はいなくても、どこか“わかってる”というような空気をまとっていますよね。
そんな空気は取り払い、心と心、人と人として、岸野すみれさんのような気持ちを持った人たちが増えれば良いのですが・・・。
それにしても北海道は広いと改めて実感しました。
それでも東京に無いものが北海道にはあると思います。またその逆もあると思います。
地域の実情に合ったケア、地域によっては文化も風習も少しずつ違うのだろうし、方言もあるだろうし。
8月に北竜町へ行く予定です(全国若年認知症連絡協議会役員会)。
本人にとって本当に必要なケア、一緒に考えてみたいですね。
by Maechan (2011-06-01 11:54)