竹やりブンブン! [感じたこと]

ある日、近所の神社から竹を伐採して欲しいというボランティアの依頼が舞い込んできた。うれしいお誘いである。私の頭の中は「筍掘り」「流しソーメン」の絵が浮かんできて、早速、希望者を募ってみた。

4人ほど希望者が集まり、山の崖にある神社を目指して出発!

到着してみると、予想以上の崖。崖。崖。足場はない。それでも本人たちは俄然やる気に。そりゃそうだ。私の誘い文句が「筍の刺身を食べに行ったついでに、流しソーメン用の竹を切りに行きませんかぁ~?もちろん、刺身は行った人の特典で、醤油を持って現地で食べましょう!」だからだ。

そりゃ皆さん張り切る!踏ん張る!

結果、筍の刺身を食べ、お土産に筍を山ほど頂き、そして流しソーメン用の立派な竹も手に入れ、浮足立って帰路に着いた。そしてセンターに到着してから“竹やりブンブン”が始まった。

長い竹をセンター正面入口から入れようとしても入らず、裏口から入れようと男3人で運んでいたとき、Aさんは急に竹を竹やりに見立て前に立っていたBさんのお腹にズブ!

「痛っ!アイタタタ・・・」とうずくまるBさん。一瞬何が起きたか把握できなかったが、竹でお腹を押し込んだ事実は見えていたので、一先ずお互いを離してBさんの手当と共にAさんにも「どうしたのです?」と聞いてみる。

すると返ってきた言葉が「あいつは、何もやらないくせしてエラそうにしている。気に入らない。どこかに行っちゃえば良いんだよ!」と興奮気味。

Bさんは一生懸命頑張っていた。むしろAさんのほうが何もしていなかった・・・。何だ?この違和感。

この険悪な雰囲気に気付けなかった私のミスでもある。でも・・・何だ?何かが違う。

これはAさんにもっと深く話を聞いてみる必要がある、そう思い始めた。ここでAさんは“危険な人”レッテルを貼ってしまう人もいるが、それは違う。そのレッテルを貼ってしまうスタッフのほうが“危険な人”なのだ。

やはり話を聞いていくと「自分が思うように行動に移せない。すぐに忘れてしまう。自分は病気なんだけれど、認知症のあいつ等とは違うと思っている。もっと効率良くやりたかった。」と話される。

このAさんは認知症と告知されていない。恐らく自覚というか、認知症と感じている部分があるのだが、まだ受け入れる段階に達していない。そのもどかしさがイライラとなって、何でもできて明るいBさんに敵対心を向けるようになったのだ。

アナタならどう対応いしていくだろうか?AさんとBさん、どうする?

私が行ったのは、Aさんにとって一番信頼を置いて頂いている私が常に横にいて、それぞれの場面で「効率の良い方法を一緒に考えましょう!」とまずは協同を持ちかけた。

更には認知症の冊子や本を目に付くところに置き興味を引く。これは、私が家族とも話し合って、間接的だが告知をすることのメリットとデメリットを伝えた上で許可を頂いたもの。失敗した場合は責任を取る覚悟だったし、そんなことより“その後”を考えていた。

認知症と伝わることで、落ち込み、不安が強くなることも想定されたが、認知症を受け入れてもらい、その後の役割として当事者として意見を発信し、町田市を変えていくという方向に持っていきたかった。つまりは認知症を持ちながらも社会的な役割を担っていく、そんなリカバリーを期待して想像していた。

その行動がズバリ的中!

「認知症と知ったときは辛かったけど、自分にもできることがある。自分にしかできないことがある。町田市の将来を変えるため、色々と協力するよ!」と言って下さったのだ。

もちろん、自信が出るように、協同しながら歩み寄っていったのだが、私は目の前の本人に対しての支援は全力投球する。一切妥協はしない。何ならケア職生命を賭けている。

当たり前だ。今、自分が出来うる最善のことを提供することで、サービス利用料を頂いているのだし、それがプロだと思う。だからこその専門性、NS以上の専門性を持っていると自負もできるが、本人にとって一番か二番に本人のことを知っている人になれて初めてケア職の専門性を持っていると言えるのではないだろうか?

Aさん、色々と教えてくれてアリガトウ!!


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パタ

Maechan、こんにちは! ^^

なんだか・・Aさんって、うちのママとかぶってます・・

自分がおかしいのは、わかってるけど・・

でも、「暗い人達」とは違う・・

だから、デイサに行きたくない!! って思ってるママに・・

Maechanのように、「協同」して動いてくれるスタッフが

いればいいなあ~~まあ、なんとかなるよね^^

町田市の未来、明るいね!!
by パタ (2011-06-22 10:47) 

AYAKO

ご本人が自覚されることのつらさを、どうしたらほんの少しでもわかることが出来るのかなあと、考えていたときに出会ったのが、私もエリザベス・マッキンレーさんの「認知症のスピリチュアルケア」でした。

介護は保護することではありませんし、徹底して「その瞬間側にいること」かな、と理解しました。それは察する、自分の感覚をまず取り去って、相手を感じ取ること
かなあと思っています。

なんでこんなことをいってるの?と思うときその中に自分の都合、つまりこの忙しいときに、だとかまた同じ事をいってる・・、だとか意味がわかんない・・、だとか、そういった自分の方の勝手な都合で聴いてしまわない事じゃないかなと今は思っています。

今しかないその瞬間をそのまま聴く、見る、という練習を繰り返し、繰り返しやっていくことで洞察力をつけたいなあ。


by AYAKO (2011-06-23 05:07) 

ygracia(boss)

はじめまして。
以前から読ませていただいてました。
徳田さん関連のygraciaです。

レビー小体型認知症介護家族おしゃべり会をしています。
最近、レビーご本人とお話する機会がありました。
まだ診断されたばかりで、その不安とがんばりたいという
お気持ちを聞き、胸がいっぱいになりました。
レビーとかアルツとか特定する必要はないのですが、
レビーは症状にすこし特殊な部分もあるので
本人の希望する行動を周囲がどのようにサポートできるかが
問題となりますが、ご本人の意志はごくごく
当たり前の人間の姿で、受け止めてもらいたいと
いつも思っています。
本人の声をしっかり聞いてほしいのです。
レビーの介護難民はたくさんいるので、わたしたち家族も
できるかぎりの声を発信しています。
maechanさんのように接してくださる方を増やしたいのです。
これからもよろしくお願い致します。
http://lewyoshaberikai.blog89.fc2.com/

by ygracia(boss) (2011-06-25 01:06) 

Maechan

皆さん、コメント下さいましてアリガトウございます!

>パタさん
「認める」ということが本人にとって一番辛い壁なんですよね。
自分が認知症であっても、多分同じだろうなと思います。
ママさんが思っていることは、至って自然なことで、
だって自分は「元気なんだから!」と感じている一方、
これを認めると「プライドが・・・、怖い・・・、アイデンティティーが・・・」と様々な想いが頭を駆け巡っているはず。
少しでも認知症ケア職の“人間性の視点”を持ってもらえるように、
私も頑張りまっす!!

>AYAKOさん
やはり洞察力をつけていくには、本人と関わりを多く持つことが近道でありますし、本人から学ぶことが多いと思います。
私も本人から膨大なことを学びましたが、それでも一人ひとり個性があるように学ぶことも尽きません。

学ばせて頂いたことが次の経験として活かしていくことが出来、その経験が安心オーラを広げていくことになるのだと思っています。
お互いに頑張りましょう!

by Maechan (2011-06-27 09:57) 

Maechan

>ygraciaさん

はじめまして。
レビー小体型認知症とかアルツハイマー型認知症とか特定する必要がないという部分では確かにその通りかもしれません。
ガンで考えても、肺ガンと胃ガンの違いはあっても、ガンには違いない。それと同じようにも思えます。
ただお気付きのように、“特殊な部分”では薬の効き方や症状の違いがあります。
そこに専門的な知識を土台に置きながらも、人対人の関係を築きつつ本人の想いを聴き、更に実行(ケア)出来る多くの専門職が必要なのです。

経営的な面から、パートタイマースタッフさんが多いことにも原因があるのですが(もちろん、それだけではないですが。)一部では時給に見合ったことしかしない、レジ打ちおばちゃんと変わらないスタンスで仕事をしている人もいます(レジ打ちおばちゃんも一生懸命されている方もいますが。)。

それでも、スタッフとなったからには認知症ケアの専門職として活躍できるように、環境を整えていく必要があります。これは、おばちゃんたちの責任ではなく、社会の在り方が大きく関係していますし、今後の大きな課題ですが、ここを整えていかない限り前進しません。

微力ながら、私も精いっぱい協力したいと思います。
今後も宜しくお願い致します。
by Maechan (2011-06-27 13:17) 

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