認知症であっても・・・ [介護・福祉の疑問]

「前田さんは、自分が認知症になったとしても、それでも長生きしたいと思いますか?」という質問を頂いた。何とも色々と考えさせられる質問内容である。

でも答えはNO。

私自身は太く短い人生を送りたいと願っている。認知症であっても、そうでなくても。そう考えると、人それぞれなのではないかと思う。

では、いつが私にとっての寿命を全うする時期、すなわちゴールなのか。短いと言っても、「ここまでは!」という年齢がある。それは、子どもが結婚し孫の顔を見るまでと思っている。「オイオイ、そりゃ長寿だよ!」という声も聞こえてきそうだが・・・。それぞれ感じる、考える、受け止める年齢は違うのと同様に、だからこそ人それぞれなのではないだろうか。

それでも例えば私が40歳でアルツハイマー型認知症と診断されたら・・・?

その時、子どもはまだ10歳。少なくともあと15年は認知症と共に生きなければならない。そう考えると、長寿を願うというより「生きたい!生き抜かなければ!」と願うだろう。

その場合、 抗認知症薬を服用しながら生活を送っていくことになるのだが、現在(あくまでも一例)、認知症になるとこんな社会が待っていることもある。

会社には勇気を持って自分が認知症だということを説明するが、仕事でのミスが目立ち始め、部署の配置転換を繰り返し、通勤も不安を抱え、ついには居場所がなくなる。そして退職。

家にいる時間が長くなり、子どもから「お父さん、仕事行かないの?」と質問され、家を出るも近所の人の視線が痛く突き刺さる。「このまま自分の人生が終わってしまう・・・。これではダメだ!」と奮起し、デイサービスを利用するも周りは高齢者ばかり。更に気持ちが沈み込む。

「生きたい!生き抜かなければ!」という気持ちから「何故、自分が・・・。」と悔しい気持ちで涙が流れる。それでも病状は容赦なく進み、自分の気持ちを言葉に出して伝えることが難しくなってくる。

すると自分の気持ちや想いとは裏腹に、[認知症/利用者/患者]の前田さんとしてスタッフから見られ、何もできない人として扱われてしまう。そこに苛立ち、「馬鹿野郎!ふざけんな!」という言葉だけが偶々出て、スタッフを突き飛ばし、部屋から出て家に帰ろうとする。するとスタッフからは[暴言/暴力/徘徊]というシールを更に貼り付けられてしまう。

もちろんこれは一例だが、こんな社会であれば、お先真っ暗だろう。でもここを変えていかなければ、明るい未来は遠いのだ。まずは、①会社 ②上司 ③同僚 ここの理解を広げていくためには、専門職向けのセミナーやフォーラムだけではなく、多くの一般企業を巻き込んでいく必要があるだろう。

そして、④地域 ⑤学校 ここにも理解を広げていく必要がある。それを担っているのが地域包括支援センターと呼ばれる、地域の頼れる専門職の詰所だ。ただ動いていない、どう動けばよいのか、高齢者であれば対応できるが・・・、と二の足を踏んでいる専門職も多い。「アンタ等が動かないで誰が動く!?」と言いたい。

また、⑥認知症本人のサポート ⑦家族のサポート ⑧専門職のレベルアップ これらも非常に大切である。課題は多いように見えるが、実際に動き始めないと社会は変わらない。変えるためには動かなければならない。

いつまでも認知症を他人ごととして考えるのではなく、自分ごととして考えなければならない。認知症でも変わらぬ自分であり続けられるために。

【NPO町田市つながりの開】はそんな活動をしている(いく)団体だ。


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AYAKO

認知症があるから幸福にはなれないのですか?
認知症が無かったら幸福になれるのですか?

認知症を遅らせる薬に、なんの意味があるのですか?

と言う問いに出会ったことがあります。
咄嗟には言葉が出ませんでした。
今でも、あれこれと考えています。

昨日、NHKの方からDVDを贈っていただきました。
3本あります。
どれも1時間を超す内容で、一人で見るより皆で見て
何かしら話し合ったり、自分の考えを聞いてもらったりしながら見るのがいいかなあと思います。

きのこエスポアール病院の30年の取り組み
小規模多機能型施設 大畑の家の取り組み
太田正博さんの10年

です。近々、ロードショウを企画します。
どうぞお越しください。
by AYAKO (2012-03-31 21:35) 

のんた2号

こんにちは。
認知症の人にとって未来は何でしょうか?
認知症の人なとって希望は何でしょうか?
どのような提案ができるのか、妻が若年性アルツハイマー病の告知を受けてから自問自答しています。
by のんた2号 (2012-04-01 14:45) 

Maechan

>AYAKOさん
認知症があったとしても変わらない幸福があると思います。私は言い切れます。
誰か一人でも言い切る人がいないと明るい未来は創れないと思うのです。
言い切るには、それなりの覚悟をしています。自分自身が先陣を切って開拓していく覚悟です。

色々な壁や風当たりが強くなるでしょう。でも、隣には認知症の当事者が応援してくれています。当事者のサポーターです。
もちろん仲間もいます。様々な人からサポートを受け前進していく。この姿はどちらがサポーターなのでしょうか?

認知症を遅らせる薬の意味、お先真っ暗な社会であれば「辛い薬」になると思います。けれども明るい未来であれば、「飲みたい薬」になると思います。

今から社会を変えていかなければならないのです。このまま何もせず怠惰的に日常を送ることは誰でもできます。

何かを変えていく、創っていくためには動かなければ始まらない。言うだけでは変わらない。自分自身にも言い聞かせています。

認知症当事者からメッセージ「認知症になったからといって、決して不幸になったとは思いません」この後に続くメッセージ「今私は幸せです」と言えるような社会を創っていきましょう!
by Maechan (2012-04-02 02:25) 

Maechan

>のんた2号さん
認知症の当事者にとっての未来や希望は私たちと変わらないと思います。
のんた2号さんにとって未来とは何でしょうか?
のんた2号さんにとって希望とは何でしょうか?

奥様の想いときっと同じはず。
認知症だからといって特別視せず、自然にあるがまま、想いを馳せると答えがシンクロしてくるかもしれませんね。
by Maechan (2012-04-02 02:33) 

のんた2号

妻ではなく私が認知症に支配されてしまっています。
私の対応が、逆に認知症を際立たせていることが度々あります。
「自然にあるがままが・・・」本当にそうですね。
4月からは、少し自由になります。
今度「つながりの開」にもお邪魔させてください。
色々と教えてもらいたいことも、あります。
よろしく!
by のんた2号 (2012-04-02 08:53) 

AYAKO

MAECHANさんのおっしゃるとおり!。

いつまでも他人ごとでは、出来ない。
だからこそ、ご本人達の声を届けたい。

タイじゃなく、届けマス、ですね。





by AYAKO (2012-04-02 09:11) 

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