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認知症対応型・・・ [介護・福祉の疑問]

今回は早々のブログ更新。前回の「愚痴。」にてストレスを発散したからかもしれない。

ところで私たち介護及び福祉の世界では「認知症対応型〇〇〇」といった介護保険サービスの種類があり、しかもそのカテゴリを”普通”に感じてしまっている。もちろんこのカテゴリには、認知症の人たちが利用しやすい[環境]、認知症ケアのスペシャリストがいる[資格要員]、スタッフが多いといった手厚い[人員配置]などが求められているし、揃っていなければならない。

しかし、見方を変えると「認知症対応型〇〇〇」に認知症の人を社会から隔離しているようにも見えてしまう。 

そう見えてしまうと、地域とのつながりとか、社会との接点を再構築とか、地域社会のネットワークにおいてとか、認知症対応型の大義名分を掲げ社会から好き勝手に隔離しておいて、何を今さらと思ってしまうのだ。再び地域や社会とつながりを求められても意味がわからない。

認知症の当事者や家族は、世間の抱いているイメージやスティグマ、世間の理解不足によって相当辛い思いをしている。

痴呆症から認知症と呼称が変わってから随分経つが、まだまだこんなレベル。真意を理解している専門職はいるが、その数十倍の専門職?は「ニンチ」とか「アルツ」とか言っている始末。まだまだだ。

介護及び福祉の多くの住人だってそんなレベル。だから世間一般の人たちに正しく伝わるには相当時間がかかる。その相当な時間は認知症の当事者や家族が辛い思いをし続ける時間でもある。

私たち介護及び福祉の住人は、待ったなしで学び、活かし、疑問を感じる視点を育て、今の社会を変えていくよう努力しなければならない。 


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認知症でも・・・? [介護・福祉の疑問]

またまた1ヶ月ぶりの更新。何とか1ヶ月に1度はこれからも更新していきたい。何とか・・・。

ところで、色々なところで目にする標語『認知症でも安心して暮らせる〇〇〇』だが、実際に何か形となって取り組んでいる行政はどれくらいあるのだろうか?

かくいう当法人の事業にも掲げていたりする。そして、実際に手探りながらも活動していたりする。詳しくはfacebookの法人ページを作成したので、そちらを見て欲しい。近日中にホームページもUPするので、少々お待ちを。

でも最近感じているのは認知症というカテゴリーを作り過ぎてやしないだろうか、ということである。『認知症でも安心して暮らせる〇〇〇』という標語も、見方によっては認知症の人だけが”優遇”もしくは”特化”されているとも捉えることができる。

WHOの障害定義からすると、生活し難いと感じている人及び生活上の不便さを感じている人となっている。このブログでも何度か生活障害という視点で取り上げてきたことだが、そこの視点から考えると、認知症の人だけが”優遇”及び”特化”されているようでならない。

言葉は大事である。ひょっとすると、そこには既にスティグマが隠されているのかもしれない。

だが例えば『認知症であっても誰であっても安心して暮らせる〇〇〇』とするとどうだろうか。受け止めるイメージが変わるのではないだろうか。

再度言うが、WHOの障害定義を引っ張ってきて、生活障害という視点で考えると私たちも少なからず生活し難い、生活上不便を感じている当事者として含まれる。そう、誰もが当事者として、一市民として。

そこから生まれてくる考えは、認知症というカテゴリーを取り払い、生活障害という考えの基に自分事として捉えることで、認知症の偏見を減らすことができるはず、ということだ。

明日から当法人の事業も『認知症であっても誰であっても安心して暮らせる町づくり事業』と名称変更しよう。また当法人の次世代型デイサービス【DAYS BLG ! 】この考えにより、敢えて一般型でチャレンジしていく。

言葉は大事。


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魔法言葉「身体機能回復」 [介護・福祉の疑問]

約1ヶ月ぶりのブログ更新。

「介護保険制度は財政破綻により崩壊するだろう。」という意見を聞いた。んー、何とも暗い未来予想図だ。お先真っ暗、先行き不安、生き難い社会が想像できてしまうかもしれない。

このブログでも何度か触れてきたことだが、介護保険の【無駄遣い】が気になる。何のために介護保険サービスを利用するのか。現在はその本質的な部分が抜け落ちているのではないだろうか。

自身の目指している目的や目標を達成するために介護保険サービスを利用した結果として、自身の生活を豊かにすることが本質の部分なのだが、ここが抜け落ちていることが多い。例えば、身体機能の維持回復をすることだけが目標となっていて、その先がない。身体機能の維持回復は手段であって、目標ではないはずだ。

この「身体機能の維持回復」という便利な魔法言葉によって、本来介護保険サービスが必要のない人たちまでを集めている事業所がある。何のためか、それは金儲けのためだ。

元々、整形外科などの待合室で”集会”を開いていたオバちゃんたちは、友人に会うために整形外科へ通っていることも少なくなかった。それが”集会”で会っていた友達が一人、また一人と身体機能回復という魔法をかけられて消えていく。どこへ消えたかというと、デイサービスという魔法城。

すると”集会”から残されたオバちゃんは、友人に会うために魔法城に行きたいと思い、ケアマネ魔女に依頼する。するとケアマネ魔女は「身体機能の維持回復~★」と魔法を唱えて、オバちゃんを魔法城へ送り込んでしまうのだ。

今までは自宅から歩いて整形外科へ通い、無料(受診料はかかるが)で”集会”を開いていたのだが、魔法城へ通うようになってからは、ハイエースという名のかぼちゃの馬車が送迎をしてくれて、有料で”集会”を開くようになった。しかも、その有料部分の9割は国の財源から支給されている。

整形外科まで歩くことで、自然と身体機能の維持回復ができていたのにもかかわらず、現在は身体機能の低下もしくは維持を有料でやっている。これじゃ、財源は幾らあっても足りない訳だ。

ここに「まだまだ働きたい」という想いを持った営業マンAさんがいる。でもAさんは脳血管性認知症により車いすに乗って移動しなければならない。このAさんが次のような支援により、介護保険を利用して目標を達成した。

=目標「働ける」=====

・通所リハビリを利用し身体機能の維持回復を図る。

・短期目標を達成したところで介護保険の利用終了。

・通勤は隣人のご主人が自宅の最寄り駅まで車いすを押してくださり、会社のある駅からは同僚が車いすを押して出勤。

・営業は部下と一緒に回る。

・取引先からの絶大なる信頼を得ているAさんは、取引先からも「Aさんがいないと、ウチは取引しないよ」と、Aさんがその場に居るだけで商談成立。

・支援が必要な場面は幾つかあるが、Aさんの目標としていた「働ける」を達成。

・通勤と営業回りが自然なリハビリにもなり、身体機能の維持回復となっている。

=============================

このAさんは、働きたいという目標を達成するために介護保険サービスを利用し、想いの実現によって生活も豊かになることができた。

全てを介護保険サービスで賄おうとするのではなく、何のために介護保険サービスを利用するのか。その辺りをもっともっと深めていかなければならないだろう。それは介護保険サービスは生活を支える一つの道具なのだから。


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デイサービスの外出について [介護・福祉の疑問]

①「デイサービスの儲け主義に利用されている。ここまで税金でやるべきではない。予算の無駄。」

②「デイサービスはデイの申請をしたデイルーム内で1日を過ごすべき。そもそも何故、デイサービスに外出が必要なの?ケアマネさんはデイサービスに行くことが外出だと言っていたけど??」 

世間一般の人たちからこんな意見を頂いた。これが世間一般の人たちが抱いているデイサービスのイメージであると共に、本質を知って頂く努力を怠っている私たち専門職への挑戦状だ。

まず①の意見に対しては、一部の儲け第一主義としているデイサービスの印象が強いのだろうか、デイサービス全部が嫌われている。まぁ、それも仕方がないのかもしれない。なぜなら、社会全体で支える仕組みの介護保険制度だが、保険料と称して強制徴収されているのだから。

俺は(私は)まだ介護など関係ない、そう思っている人たちは、この感情を抱きやすいと思う。だからこそ、デイサービスを始めとする介護福祉サービスの必要性と本質を一般の人たちに知って頂く努力をしなければ、社会の一部が支える制度となってしまう。

もっと自分事として捉えてもらうためにも、身近なことだと知ってもらうためにも、 私たちは広く世間にアピールし、周知と理解を図れるよう、努力しなければならない。この業界の中だけで一生懸命に吠えていても、井の中の蛙だ。

次に②の意見に対しては、少し介護保険制度を知っている人からだ。これは、おかしなことに同じ介護保険制度にも関わらず、都道府県によって解釈が違うことから生じているのだ。A県は「外出は心身機能の維持・回復、または気分転換にもつながることから、デイサービス中における外出は可とする」、B県は「デイサービスとは申請時のデイルームにおいて、心身機能の維持・回復に努めることであり、デイサービス中の外出は介護サービスの対象外である」、C県は「外出は家族の役割であり、介護サービスの範疇ではない」など多様だ。

だからなのか、ケアマネにも解釈の違いが出ている。「デイサービスに行くことが外出」これは嘘だ。なぜなら、自宅(箱)→車(箱)→デイサービスセンター(箱)と、箱から箱の移動だけだからである。しかも、デイサービスは座っている時間がとにかく長い。時間全体の8~9割は座っている。歩くのは移動とリハビリの時間だけ。これじゃぁ、①の意見を言われても仕方がない。

そこで、①②両方の意見に対して、今後のデイサービスが目指すべき在るべき姿を少しお伝えしたいと思う。

image.jpg

上記図の「想い」・・・人は、何らかの想いを持っている。例えば、社会とつながっていたい、働きたい、友人と〇〇したい、恋愛したい等。

「場」・・・デイサービスセンター、集会所等のこと。ここに人は想いを持って集まる。現在はこの場に集まり、そして解散するのみ。

「地域」・・・町、商店街、町内会等のこと。ここに人が持っている想いを実現できるモノが沢山ある。これからは地域とつながっていくことが求められていく。

つまり、現在はデイサービスに行くことが目的となっているが、今後はデイサービスに行くことは手段であり、そこの場から地域とつながり、想いを実現していくことが目的となるのだ。

そして、その想いを実現することがQOLを高めることにもつながり、生活機能の維持・回復にもつなげられるよう、生活場面をしっかりとアセスメントすることで、専門性も確立されるのではないだろうか。その専門性を世間一般の人たちに伝えることができるようになれば、①②のような意見も少なくなるものと思われる。

専門性のインプット、それを世間一般に知ってもらうためのアウトプット(易しく理解しやすく伝えることが重要)。これが大切であり、やらなければならないことだ。


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認知症であっても・・・ [介護・福祉の疑問]

「前田さんは、自分が認知症になったとしても、それでも長生きしたいと思いますか?」という質問を頂いた。何とも色々と考えさせられる質問内容である。

でも答えはNO。

私自身は太く短い人生を送りたいと願っている。認知症であっても、そうでなくても。そう考えると、人それぞれなのではないかと思う。

では、いつが私にとっての寿命を全うする時期、すなわちゴールなのか。短いと言っても、「ここまでは!」という年齢がある。それは、子どもが結婚し孫の顔を見るまでと思っている。「オイオイ、そりゃ長寿だよ!」という声も聞こえてきそうだが・・・。それぞれ感じる、考える、受け止める年齢は違うのと同様に、だからこそ人それぞれなのではないだろうか。

それでも例えば私が40歳でアルツハイマー型認知症と診断されたら・・・?

その時、子どもはまだ10歳。少なくともあと15年は認知症と共に生きなければならない。そう考えると、長寿を願うというより「生きたい!生き抜かなければ!」と願うだろう。

その場合、 抗認知症薬を服用しながら生活を送っていくことになるのだが、現在(あくまでも一例)、認知症になるとこんな社会が待っていることもある。

会社には勇気を持って自分が認知症だということを説明するが、仕事でのミスが目立ち始め、部署の配置転換を繰り返し、通勤も不安を抱え、ついには居場所がなくなる。そして退職。

家にいる時間が長くなり、子どもから「お父さん、仕事行かないの?」と質問され、家を出るも近所の人の視線が痛く突き刺さる。「このまま自分の人生が終わってしまう・・・。これではダメだ!」と奮起し、デイサービスを利用するも周りは高齢者ばかり。更に気持ちが沈み込む。

「生きたい!生き抜かなければ!」という気持ちから「何故、自分が・・・。」と悔しい気持ちで涙が流れる。それでも病状は容赦なく進み、自分の気持ちを言葉に出して伝えることが難しくなってくる。

すると自分の気持ちや想いとは裏腹に、[認知症/利用者/患者]の前田さんとしてスタッフから見られ、何もできない人として扱われてしまう。そこに苛立ち、「馬鹿野郎!ふざけんな!」という言葉だけが偶々出て、スタッフを突き飛ばし、部屋から出て家に帰ろうとする。するとスタッフからは[暴言/暴力/徘徊]というシールを更に貼り付けられてしまう。

もちろんこれは一例だが、こんな社会であれば、お先真っ暗だろう。でもここを変えていかなければ、明るい未来は遠いのだ。まずは、①会社 ②上司 ③同僚 ここの理解を広げていくためには、専門職向けのセミナーやフォーラムだけではなく、多くの一般企業を巻き込んでいく必要があるだろう。

そして、④地域 ⑤学校 ここにも理解を広げていく必要がある。それを担っているのが地域包括支援センターと呼ばれる、地域の頼れる専門職の詰所だ。ただ動いていない、どう動けばよいのか、高齢者であれば対応できるが・・・、と二の足を踏んでいる専門職も多い。「アンタ等が動かないで誰が動く!?」と言いたい。

また、⑥認知症本人のサポート ⑦家族のサポート ⑧専門職のレベルアップ これらも非常に大切である。課題は多いように見えるが、実際に動き始めないと社会は変わらない。変えるためには動かなければならない。

いつまでも認知症を他人ごととして考えるのではなく、自分ごととして考えなければならない。認知症でも変わらぬ自分であり続けられるために。

【NPO町田市つながりの開】はそんな活動をしている(いく)団体だ。


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介護・福祉職にオシャレは必要か? [介護・福祉の疑問]

一般の人(この業界外の人)から「身だしなみとオシャレは別。介護や福祉といってもノーメイクの女性や、私服だからといって勘違いしている人が多いのではないか?」というご意見を頂いた。

ごもっとも。

自分が歳をとったからなのか、いや違う。社会的な常識から考えてもオカシイと思う人がいる。ただノーメイクに関しては、女性ならではの考えや、皮膚疾患等も考えられるかもしれないので特に意見はない。

この仕事は“動きやすい”服装が求められているのだが、ある程度の常識と時代にあったニーズは求められるだろう。それでは、ある程度の常識とはどのようなものか。

①相手に不快感を与えないもの ②清潔感があり、好印象であるもの ③就業中であり、プライベートではない

こんな感じだろうか。会社員の人はスーツが勝負服であり、戦闘服でもある。私服で勤務している場合もあるが、対外的な時はスーツが基本だろう。

では私たち介護職の場合はどうか。常に相手がいるはず。でも、スーツだと動きにくい。

そこで登場するのがチノパンやジーンズ、シャツになってくるのだが、勘違いしている人はズタボロのジーンズを履いてみたり、チノパンを腰で履いてみたり、ダメージシャツを着てみたり。

まぁ、若い人に多いと言えばそれまでなのだが、とあるデイサービスのスタッフ(40代の女性)はホットパンツにブーツを履いてキャミソール姿で送迎に出たところ、 家族からクレームの電話があったという。その格好で仕事をしようと思っていたスタッフもそうだが、それを注意しない上司も問題だ。 

それでは時代にあったニーズとは、どのようなものなのか。

①相手の時代背景に沿った社会的常識範囲のもの ②現在求められているもの ③ある程度の個性を生かしたオシャレ

こんな感じだろうか。もし私の年代がサービス利用をする立場であれば、スタッフのホットパンツ姿は許容されるかもしれない(されないかもしれないが・・・)。でも相手は80代等。確実に許容されないことは明白だろう。

また、よくある格好としてジャージがある。これは一昔前の、いかにも福祉っていうイメージであり、現在の考え方からはほど遠い。ジャージはそもそも運動するときに着るもので、まさに「オムツ交換レース」が全盛だった時代のニーズなのだ。更には何かの部活動のようにお揃いジャージで気味が悪い。

これもまたよくある格好なのだが、お揃いのチノパンにお揃いのポロシャツ。まったくもって個性が奪われている。「生活を大切に」とか「社会参加」とか「地域の一員として」とか言っている割には、明らかな異空間がそこにはある。それが法人としての制服なのかもしれないが、地域として考えたときも制服姿なのだろうか?地域に同じ服を着ている人が多くいたらどうだろう?

余談だが、法人によっては衣服代(制服代)と題した手当をスタッフに支払っているところもあれば、逆にこれらのことを口実に、勤務は私服を推奨しつつ、私服だから衣服代などの手当を支払わない法人もあり、様々だ。

話を元に戻して、これらのことを踏まえたうえで、仕事の時に着る私服を選んで頂きたい。オシャレは介護・福祉職であっても必要であり、オシャレをすることで気持ちが高揚したり、明るくなるだろう。それは相手にも伝わることであり大切な部分でもある。 

ただ忘れてはならないこと、それは私たちの常識は世間一般からすると非常識なことが多いのだ。それを常日頃から肝に銘じつつ仕事をしていきたい。


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認知症の対策 [介護・福祉の疑問]

「認知症の他にも心の病や貧困など大変なことが山積みです。そんな中、認知症の対策ばかり立てているのはいかがなものでしょうか?」という意見があった。

この意見に対して、 行政の縮図を見た感じがした。

まず何故、認知症や心の病、貧困など分けて考えてしまうのか。認知症は高齢者福祉局?心の病は保健福祉局?貧困は生活援護局?

それでは、うつ病だった人が認知症になり、生活に困窮してきた場合はどうするのか?3つの部署が協力を図りながら対応するなんてことは想像しにくい。

そこには“THE・たらい回し”が待っているような気がする。

では何故、認知症の対策ばかり立てているのか。それは介護保険制度を牛耳る部局が今一番力があるからだ。何といっても高齢社会。精神疾患の人や貧困の人よりも、圧倒的に高齢者が多い昨今、担当部署は力もあるが予算もある。

そこでだ。以前からお伝えしているかもしれないが、 「生活のし難さ、生き難さ」という障害の視点から考えてみるとどうだろうか。

個人差はあるかもしれないが、広義の障害として捉えたとき、私たち全ての人が範疇なのではないだろうか。例えばアレルギー性鼻炎とか、朝起きられない、肩こり、乱視や老眼なども「生活のし難さ、生き難さ」 につながる。

もちろん心の病や貧困も「生活のし難さ、生き難さ」に含まれる。

その障害という視点から考えるとき、私たち皆の問題でもあり、特別なことではなくなる。一人の人間をバッサリと区切る現行の[知的][身体][精神]と分かれている障害区分自体が不自然だということに気付く。

もっとシンプルに「生活障害」という考えが広がるよう、活動していきたい。

行政の批判ばかりなので、この辺でもう一つの考えを。

実は認知症を入り口として考えると、心の病や貧困にもつながってくる。認知症になると本人も家族も不安になり、心の病にかかり易い。

また、働いていた場合は退職せざるを得ない状況になり、収入が大幅に減るだろう。そして介護保険サービスを利用するようになると、収入≦支出となり貧困が迫ってくる。

このような考えもあり、認知症の対策に力を入れているのだ。 


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笑顔があれば・・・ [介護・福祉の疑問]

こんな意見があった。「笑顔があれば言葉がなくとも伝わる」「とにかく笑顔を絶やさないために・・・」「怒っていた人も私の笑顔を見たら落ち着かれた」・・・等々。

私が思ったこと、それは「気持ち悪い」の一言。 

確かに笑顔は大切ではある。私も一時期はそうだったかもしれない。そんなとき、お婆ちゃんが私に向かって「何アンタヘラヘラ笑っているんだよ!私の気も知らないで。。。」と言い私を怒った。

相手の気持ちを知って、推し測って、[楽しいとき][嬉しいとき][幸せなとき]に一緒に笑えばいいのではないだろうか。それを年がら年中、笑顔を絶やさないようにと頑張っている専門職がいる。

本人からしてみると、「気味悪い」「私のこと馬鹿にしている」「笑いものにされている」と捉えられているかもしれない。

そもそも、根本的に喜・怒・哀・楽はどこへ?最初の怒っている人の、その怒っている原因はどこへ?人間らしく、感情を表現して何がいけないの?

認知症や障害福祉には、〝その人らしく〟というオールマイティな言葉がある。良くも悪くもだ。その人らしくを語る前に、人間らしくをしっかり理解しないといけない。 

また笑顔があっても、言葉がなければ伝わらないときもある。 例えば、アナタが認知症の人でスタッフの顔を忘れている。そんなとき、スタッフは笑顔で伝えようとニコニコしながらアナタに近づいてくる。

①何だ?この人。ちょっと怖いし、気味が悪い。

②良い人だ~!

アナタが抱く感情はどちらだろう?大抵①ではないだろうか。この場面は非言語コミュニケーションとは違う。ところで、この笑顔で近づいてくるスタッフが、例えば「スミマセン、私、〇〇と言いまして、新しく此方に赴任してきた者です。ご挨拶をと思いまして・・・」なんて言葉が付いたらどうだろう?

また世間一般の人もこの業界の人に対して誤ったイメージを持っている。それは、「福祉の人は優しい」「人が良さそう」「断らない」などなど。

常に笑顔を絶やさず、頑張っている人が多いからか?

対人援助で、広く深い知識と技術が必要であり、自己研鑽が常に必要なのである。人に優しく自分に厳しく、努力を惜しまない人が多いのである。

以前にも書いたが、全体の1/3は頑張っている人だ。その人たちは恐らく、どこの一流企業や世界に行っても通用する人たちでもある。つまりは一般社会の上位の人たちと何ら変わらない。

介護・福祉の人たち、一般社会の人たち、お互いを知ることで生まれる力が社会を変えていく。これからも〝つなぎ役”として少し担っていきたい。


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介護保険サービス“利用者” [介護・福祉の疑問]

「今度来る新規利用者だけど・・・」「うちの利用者は・・・」「あの地域は利用者多いから・・・」といった専門職の声をよく耳にする。悪気は無いのだろうが、職業的な口癖だ。

私が最近、皆さんにお伝えしていることがある。介護保険サービスを利用するようになった瞬間から、〇〇さんは“利用者”となってしまっていることだ。 

職業的な口癖だけに、気付いていない人が多いかもしれないが、利用者というカテゴリーの中に一人の人間を押し込めてしまい、そのカテゴリーは【利用者=護る存在】、つまり出来ないことが多い人たちと決め付けている節がある。

なぜ、カテゴリーの中に押し込めてしまうのか。

それは利用者という言葉を使うと、言い訳の理由になってしまうことが挙げられる。言い訳とは、リスクや事故が起きたときに、「利用者=社会的弱者だから何が起きても(何を起こしても)不思議ではない」=「自分のせいではない」と暗黙の、気持ちの悪い意思統一が図られているのではないだろうか。

ちょっと待って。

利用者の前に生活者であり、そもそも〇〇さんという一人の人間ということを忘れないで欲しい。生活者とは ①社会的な役割を持っている ②楽しみを持っている ③交流機会がある この3点が絡み合っている状態のことだ。そこに一人の人間として〇〇さんの個性が入ってくる。

例えば、アナタに置き換えて考えてみよう。アナタは①働いている、専業主婦、PTA、町内役員など ②趣味がある、好きな過ごし方がある、目標を持っている ③会社の同僚と会う、友達と会う、人と会う ・・・当てはまるだろう。

そんなアナタが交通事故に遭い、退院後には介護保険サービスを利用しながら生活をしていかなければならなくなった。するとスタッフから“利用者”カテゴリーに入れられてしまい、①もう働けない人、何も出来ない人 ②事業所のプログラムに合せなければならない ③事業所で他の“利用者”とスタッフのみにしか会えない  面白くない“利用者”人生のスタートになる。

私なら耐えられない。例え介護サービスを利用することになったとしても、前田流の生活がある訳だし、考えを持っているし、自分は自分で唯一無二であり、多くの利用者と一緒にされるのは嫌だ。

そして“利用者と呼ぶこと”に関して、こんな意見も頂いた。「利用者という呼び方は差別的に感じる」と当事者の〇〇さんからだ。

当事者からこんな意見が出てしまうこと自体、専門職として恥ずかしくないのだろうか?もうそろそろ、“利用者”と呼ぶのは止めにしないかい?そこのアナタ。


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介護・福祉のイメージ [介護・福祉の疑問]

「こんな待遇が悪い業界はいつか破綻する」という意見があった。

どうもこの業界イメージは“キツイ”・“キタナイ”・“給料安い”といった伝説の根強い3Kがある。またこの意見では、職員が辞めていくこと、更に職員が集まらないことも指摘している。

確かに待遇が悪いのは否めないが、その原因は2つある。

1、この業界で働いている私を含めた、人の問題。この業界のリーダー的存在の人や常に向上心を持って知識技術を吸収し学び続けている人、この人たちは全体の1/4くらいだろうか。この人たちは給料が良い。と言っても、世間と比べると安いのかもしれないが・・・。でも、誇りとやりがいを持って頑張っている。

言われたことのみを実行する人、または問題意識を少し持ってはいるが実行に移していない人、もしくは経験のみで自己流を貫き通す人、①この人たちは全体の2/4くらいだろうか。この人たちは給料が安い。当たり前のことだ。

残りの1/4の人は目標もなく、ただ何となくこの仕事に就いて、適当にしている②ダメな人

実はこの①と②の人たちのイメージが強く、しかも①と②の人が自ら3Kを訴え、見当違いの文句を言い放ち、離職率を上げていることに一役買っている人たちでもあるのだ。ただ、これは他の業界でも同様のことが言えると思う。

2、介護保険サービス事業者としては、収入源が保険給付だけなので上限が決まってしまっていることだ。年々給付が下がっていると騒いでいるが、私からすると自業自得とも言える。それは、儲け主義に走り過ぎている事業者が、自身のケアマネ事業所を利用して客を集め、必要もない事業所自身の介護サービスを満額近く利用させている。その結果、国の財政が圧迫されて「給付率を下げよう」という話になる。すると、 収入を確保するべく新たに介護サービスの必要ない客を集めて・・・と堂々巡り。

そのケアマネだが、ヘルパー上がりの人が多い。多くのヘルパーケアマネは、ケアマネになることが目標となってしまっているので、 向上心がない。今までの経験のみを自らを支える柱として考えているのだ。だから勉強しない。社会福祉や社会生活、対人援助など基礎が全くない人たちである。知識が重要ではないのだが、そんな人たちに『バイスティックの7原則』を問うても???であろう。そんな人たちに人生を預けても良いのだろうか?だからケアマネによっては“当たり外れがある”とか言われているのではないだろうか。

専門職として、自己研鑽が必要であるし、利用料を頂いているプロなのだから。もっと自覚を持って欲しいと思うのである。 

少し、一部のケアマネ批判といった話に脱線してしまったので戻そう。

1、人 2、事業所 の問題が原因により悪いイメージが定着しつつあるのだが、意見を頂いた世間一般の無知も実はあるのだ。それは“福祉”自体をネガティブに捉え、「福祉の世話にはなりたくない」と言っている人ほど多い。でも、福祉のお世話になっていない人はいない。

赤ちゃんのときはどうっだっただろうか?保育園に通っていた人は?児童手当は?学童保育は?〇〇歳まで医療費助成は?緑のおばさんは?民生委員は?・・・挙げるとキリがない。

意外と身近にある福祉。きっとアナタもお世話になったはず。 

今後の福祉は、この業界で頑張っている人と世間一般の人がお互いに知ることで、変わっていくと思う。そして、それが実現するとき、大きな力となって“誰もが安心して暮らせるまち”となり日本が変わるキッカケへとなり得る。

頑張ろう日本!頑張ろう皆!頑張ろう自分! 


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