心の師 [感じたこと]

誰にでも「この人は・・・(心の中から尊敬する人)」という人がいると思う。こんな私でも本当に心から尊敬する人がいる。それは若年認知症(レビー小体型認知症)の方で、私が初めてお会いしたときは少し前傾姿勢ながらも歩くことができていた。

そして、その人は教育者でもあり、ずっと子育て論を私と繰り広げて下さった。中でも印象深いのは「子どもというのは叱っちゃいけない。子どもは悪くないのだから。そして親も悪くない。誰も悪くはなくて、成長している過程であって、だからこそ子どもの話をまずは聴くことが大切なんだよ。」というフレーズ。

こんな先生だからこそ、生徒からも慕われていて、認知症を発症してからも変わらずに自宅へ遊びに来たりする。そこには人対人の関係が既にある。

そして月日は流れて、座位もままならなくなってきた。リクライニングタイプの車いすになっても目が合うと「おぉ!」とパッチリ目が大きく開き挨拶された。私も「○○さん!お早うございます!」と近付いて肩を揉んだり、腿を軽く叩いたりしてボディータッチをしながら挨拶をした。

大きな声で笑い、また広い心で新しいスタッフのドジも受け入れてくれた。同じデイに通われている人からも人望が厚い。

そんな中、日帰り旅行企画が持ち上がった。場所は湯河原温泉。どうしても片道3時間は掛かる長距離移動で、過ごす時間の大半は車中となってしまう。

訪看からはデイ利用日であっても「3時間毎、横にして下さい。腰が固くなり痛みが生じますから。」と言われていた。スタッフの中にも不安視している者もいた。法人上層部は反対している者がほとんどだった。それでも・・・本人に聴いたら大きく頷かれ意思表示をされた。だから・・・

参加して頂いた。横になるスペースなんて無いし、殆どが車中だからスタッフにはずっと話しかけてもらい(私は兼運転手で、助手席には若年認知症の方が座っていた)、休む場面は休んで頂き、時折車の窓を開けて海風を感じて頂き、大好きな回転寿司を召し上がって頂き、温泉にも入って頂いた。

温泉は足湯だったが、車いす乗車のままだと足が湯船に届かず、バケツを借りて即席温泉に浸かって頂く等、それこそ現場の力で乗り切って帰路に就いた。

もちろん表情は晴れ渡り、笑顔も溢れ、少し疲れた様子ではあったが「旅の疲れ」として受け止め、家族も喜ばれていた。

反対する人たちを押し切っての旅行で、充実感と楽しい思い出を胸に無事に帰宅。でもこれは私やスタッフの自己満足かもしれない。ある反対をしていた人に「無理矢理、リスクを冒してまで行って何の意味があったの?」と言われ続けてきたから。

それでも自分の判断に、そして本人のあの表情に間違いはなかった!と思っている。それは家族からも「あの日は帰ってからずっとニコニコしていて“楽しかった”という言葉も出たのですよ!私嬉しくて。」と感想もあった。

ただ私の中で“確証”はなく、本人にとってどうだったのだろうか、腰は痛くなかっただろうか、等々、言われたからではなく振り返りとして常に頭の中にその考えがあった。

程なくして特養へ入所となり、胃ろう造設、入院、お亡くなりになった。

2年振りにお会いした家族から「湯河原温泉」の話が出た。「本当に主人が喜んでいて、言葉もよく出るようになったのよ。立場的には辛かったでしょう?」と言われたとき、今まで引っ掛かっていたモノが取れた感じと一緒に涙が溢れた。

それから、私は私と本人の信念の基に、また家族の了解を頂いた時点で、揺るぎない信条となってケアに自信が持てるようになった。

その人の生きる姿、人柄、考え方・・・挙げるとキリがないが、今でも、これからも私の心の師である。


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