認知症の人が持つ“第6感” [活動報告]
『長谷川式スケール』で有名な長谷川和夫さんと講演会でご一緒したときに聞いた話で、「認知症の人は第6感があるのだよ。」と言う。
元々、認知症は脳の障害。他の障害と同じように、障害をカバーしようと他の部位が頑張って能力を補おうとする。それにより、生活しづらい部分をカバーする能力が目覚めるのだとか。
例えば、目に不自由があり、それを補おうとして聴力や嗅覚、また肌で感じる様々な能力、それらが、発達して視覚からの情報を補うことはよく知られている。それと同じことが脳内で起こっているという。
それは相手の心を読む力。
私はハッと思い当たることがあることに気付いた。
認知症を発症し進行すると人の名前や顔がわからなくなることもある。そういったときに、「この人は私に危害を加える人か、よくしてくれる人か、私のことを理解してくれる人か、邪魔者扱いされたことがある人か・・・」要は、“良い人”か“悪い人”の区別を瞬時にされる。これを経験している人は多いと思う。
極端に例えると、トイレのときにAスタッフは「もう!嫌になっちゃうわよね。本当にいつも便で汚れていてさ!!」という感じでその人のことを思っている。
またBスタッフは「あらら、辛かったでしょう?もう大丈夫!私はアナタのことを、今でも尊敬しているし、これからも一緒に歩ませて。でも私の苦手な部分は手伝ってね。アハハ、持ちつ持たれつね。」という感じでその人のことを思っている。
そこで、Aスタッフがトイレに誘うと必死で嫌がる。今度はBスタッフが誘うと「そうやね。」と穏やかに応じてくれる。
相手の心を読む力というか、相手の“オーラ”を感じ取る力とでもいうか、こういったことが日々少なからず起こるのだ。
認知症になったら何もわからないのではない。どんな状態、状況、環境であっても、その力は衰えないばかりか発達していくのだ。また情動を伴う記憶も残っているのだ。
情動を伴う記憶というのは、喜怒哀楽を伴った出来事。例えば、5日前の夕食は美味しいけれどいつもと変わらない。7日前は寿司を食べに行って嬉しかった。すると5日前の内容は憶えていないけれど、7日前のことはよく憶えている。これは私たちと同じこと。
だから認知症になったら全てを忘れ、何もわからないと言っている人たちは悲しくも感じる。
究極のケア、絶対的な信頼オーラと安心できる存在感。ただそこにいるだけで、視界に入るだけで、声が聞こえるだけで、心が安らぎ居心地も良い空間となる。そんなスタッフがいるデイサービスをこれから考えていきたい。
内容はまた次回!
お年寄りのこと
今日の記事を読んで本当にわかっていると思います。
4日前のこと、
訪問したら、玄関に着いたとたんに室内で何が起こっているかわかりました。
チャイムを押してもなかなかあけてもらえませんでしたが、しばらくしてロックを外す音がして入室することが出来ました。
思った通りでした。
このところトイレの場所がわからなくなっています。
玄関までの廊下と寝室、居間がぬれていて
本当に探し回ってわからなかったのだろう、
困ったことだっただろうと推測されました。
私が片付け始めると、側で
「誰かが来て水を撒いていってしまったから困ってしまった。ひどいことをするものだ、おかげで私のズボンもぬれてしまった・・」と言い続けています。
私は片付けの手を止めて、ズボンが濡れていることを聞き
つめたいでしょう?はきかえますか?と聴きました。
けれども聞こえなかったようで
こんな事をするのは誰だかわかっている、いつもうちにくると意地悪をして帰る・・。と言い続けていました。
そういいながら、私の周りにいます。
ぞうきんがけが終わって、着替えを奨めてみると
すんなり応じてくださり、ズボンもご自分で出してこられました。濡れた方のズボンを脱いでいただいているとき、、思いがけない落ち着いた声で「こんな事をさせて悪いわね、すまないと思っているのよ」と言われました。
第六感ではありませんが、ほとんどのことはわかっていると思うのです。心の芯のところでわかっていると思うのです。嘘やごまかしは通用しないと思います。
by ayako (2011-05-19 23:32)
>ayakoさんへ
そうなんです。皆よく理解されていますよね。だからこそ、その場凌ぎで本人を騙したり、嘘をついたりすると後から本人の表情が曇ってくるのです。
もし今自分が認知症だったら・・・と自分の立場を本人の立場に変えて考えてみると「私だったらこうしてもらいたい。」「私だったらこんな声掛けは嫌だな。」「私だったら・・・」となるはず。
その辺りの思いを汲み取って、想いを推し量りながら心をフルオープンにして接すると全く反応が違います。
私だったら・・・。
by Maechan (2011-05-20 16:27)