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認知症当事者と運転免許証 [感じたこと]

最近は、もっぱらFacebook(www.facebook.com/DAYSBLG)で更新しちゃっているから、ブログの更新が億劫になっていたり。でも、出会う方々から「ブログ見ています!」なんて言われると、ちょっと更新しなくちゃなぁと思ってみたり。

まぁ、ここ数日話題となっているのが「認知症と道交法」について。何やら、3月10日に改正案が出される?とかで、周りがざわつき始めてきている感じ。

でもね、認知症と診断されたからといって、直ぐに運転してはいけないのだろうか?例えば、もしあなたが「最近ちょっと・・・」と思ってかかりつけ医へ受診し、紹介状を書いてもらって、大学病院で検査を受けるため高速道路を運転して行くとしよう。大学病院での検査結果は「アルツハイマー型認知症」と診断。

頭の中が真っ白になり、ショックで、とても落ち込み、現実が受け止めきれない状態で、でも車を運転して帰らなければならない。そんな中、ボーっとしていたら高速道路の出口から進入。翌日の新聞やニュースには『認知症の人が高速道路を逆走!』という見出し。

世間からは「またか!困ったものだ。認知症の人に運転なんかさせるからだ!」と煽られる。

でも本人の状況や背景などは報じられない。だから結果だけが歩き始めてしまう。あなたは、診断される前と後の数分で何かが変わったの?診断されたから運転ができない人になったの?

違うよね。
たまたま、ショックでボーっとしてしまっていただけ。だけど、世間は、そうは受け止めない。

さぁ、タイトルに戻ります。

法整備をしたからといって、どうにかなるのだろうか?そこに本人の「運転がしたい」「車がないと生活が成り立たない」などの声はどうするの?
ここで大事なのは3つ。
①想いを知ることのできる人
②環境を整える
③モノをつくる
 ↓
例えば、①運転免許センターの職員が認知症サポーター養成講座を受けても効果がない。その人の立場になって想いを受け止め、考えることのできる人になる必要がある。and more...
②山間部等で生活している人たちにとっては、車は生活必需品と言っても過言ではない。例えば、Give a bus(or taxi)みたいに、相乗り型目的地経由循環の車を準備してみる。and more...
③車企業が自動運転を取り入れつつも「運転する楽しさ」を残し、危険回避装置を標準装備。誰にとっても安全で楽しく、乗りたい車や走れる道路、そしてPA・SA・旅館やレストラン・ショッピングセンターなど、目的地すべてが行ける場所に。and more...

つまり①②③どれもが必要であって、どれも欠けてはならない。人・環境・モノ、それぞれが少し変われば社会は変わる。そして社会が変われば法律も変わらざるを得ない。

法律とは後から付いてくるもの。法制度ありきで考えていくと、息苦しい。生き苦しい。自由でありたい、だって人間の本質だから。そして自由であるためには①②③を一歩進めてみる、だって自分の行く道だから。


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名古屋高裁の件で思うこと。 [感じたこと]

ご無沙汰のご無沙汰 × 100 = 久し振り。

この更新の遅さは記録的。そして、この期間に色々あり、自分自身の体調を崩して皆に心配を掛けたり、改めて仲間の存在やつながりに感謝したり。

ところで今回、なぜ更新をしようと思ったか。それは最近、世間で話題となっている「認知症が原因で行方不明になる人が年間1万人」「JR東海の人身事故による名古屋高裁の判決を受けて」等々の議論が盛んになっている。議論されること自体は良いのだが、とても大切なことが抜け落ちたまま議論されているように感じているからだ。

このことについて、最近FMラジオのJ-WAVE『JAM THE WORLD』

 

http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/break/140521.html

出演させていただた時にお話しようと思っていたが、時間等の都合で叶わなかったので、改めてこの場で感じていることを書いてみようと思う。

現在議論されていることは大きく分けて次の2点だ。

①〈事故が起きる前の予防〉・・・地域や社会で見守る体制づくりを更に構築していく

②〈事故が起きた後の責任〉・・・国が制度等を整備し保障していく

今回の判決では家族の保護責任や企業の安全管理体制の不備が問われていたが、家族としては24時間365日の見守り責任は無理な話。じゃあ、介護保険サービスの利用や実費のヘルパーさんで対応、これも無理がある。だって、介護保険制度の在宅サービスは生活の一部であって、全部ではない。生活に合わせてピンポイントで利用していくもの。実費のヘルパーさんでも対処的であって、限定的だ。

だからといって、企業側に全て被ってもらうというのも今後を考えると難しい。 

2014年4月1日、精神保健福祉法改正で保護者制度の廃止となっている。家族等の負担を減らすためだ。にもかかわらず、今回の判決により介護を担う家族においては、損害賠償を担うような事件及び事故等が発生した場合のリスクをも背負うことにつながってしまう。つまりは介護を担った者だけが不利益を被る可能性があるということ。こうなってしまうと家族介護者は、常にリスクとストレスに晒されながらの生活を余儀なくされる。

そこで上記②の議論となっている。また予防の観点も必要だから①の議論も同時になされている。

2点とも大切なことだと思うが、もっと大切な、一番基本的なことが抜け落ちてはいないだろうか。それは認知症当事者(以下、本人)の想いだ。本人はどうしたいのか。

もちろん誰もが加害者となるようなことは望んでいない。ただもし、万が一、事件や事故等の加害者になってしまったとき、 損害賠償についてどうしたいのか。家族に責任が及ばないように自らの資産等で解決するようお願いしておくのか。それとも「何かあった場合は宜しく頼む」のか。色々と聞いておかなければならない。

優しさが故に本人と認知症について語り合うことは辛いかもしれない。本人が傷つくのではないか、落ち込むのではないか、周りの人たちに知られたくない、等々があるだろう。でも、実は自らが認知症だということは本人が一番よく理解しているのも事実だ。

それであるならば、そろそろ認知症について、将来について、向き合い語り合うときなのではないだろうか。本人はどうしたいのかを。

周りが①や②の議論をするときも、本人に参加していただくような場が欲しい。そして、その場で本人の想いを聞きながら議論して欲しい。誰のための議論なのか、一番不安や恐怖を感じている人は誰か。そこを大切にして欲しいと感じ、ブログの更新に至った次第。


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DAYS BLG ! × スタジオジブリ × NHKハートネットTV [活動報告]

今日、いやもう昨日になるが、
NHKハートネットTVにて下記の内容が放送された。
そこではDAYS BLG ! のメンバーさんがスタジオジブリが配給している映画『しわ』を見た後に、
何を感じ、何を想ったかをトークセッションするシーンが映されていた。
しわ.jpg
 
認知症でもそうでなくとも、これから認知症になる人も、生きるということはどういうことか。
生きる上で大切なものは何か。
それは友であり、絆であり、心許せる人がいるという事実。

認知症でもそうでなくとも、これから認知症になる人も、
友も絆も心許せる人とは誰にとっても大切なもの。
 
別に認知症だからといって特別な人ではなく、
私たちと一緒に地域に住んでいる隣人であり仲間なのだ。

再放送は7月22日(月)13:05~
見ていない人は是非。

www.nhk.or.jp/heart-net/

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65歳の壁がなくなった!! [お知らせ]

本日、認知症当事者の代表として中村成信さんと一緒に厚労省老健局へ想いを伝えてきた。成信さんが普段感じていること、想っていること、前田が取り組んできたこと等、2人で正面から突入してきた。

そして以下のことを伝えた。 

要望.jpg

 結果は・・・

1.精神障害者保健福祉手帳の利用範囲拡大について

⇒国での基準等は定めておらず、各鉄道事業者や交通機関、施設等での規約に任せている。精神障害者保健福祉手帳に関しては、以前は本人の顔写真が手帳に貼付されていなかったため、悪用される恐れがあるとして各事業者は前向きではなかったようだ。個別または団体を通じて各事業者へ交渉してみることが第一歩。

2. 障害基礎(厚生)年金受給までの期間短縮について

⇒実情をお知らせし、検討課題となる。

3. 65歳以上であってもボランティア活動に対する謝礼受け取りを可とする

可となりました!! しかも、認知症の人だけではなく、介護保険サービスを利用しているすべての人が対象。今後は本人の想いに沿いながら、大きな目的(ボランティア活動~謝礼の受け取り~謝礼を何に使うか)に向かって社会参加することが可能になった。ここまで来るのに時間もかかったが、大きな大きな1歩となった。これも今まで応援してくださった認知症当事者や家族、専門職や関係者、多くの人たちの後押しがあったからこそ実現することができた。

今夜は飲もう! 


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65歳の壁 [感じたこと]

若年性認知症とは18歳~64歳までに発症した認知症の総称であり、65歳~発症した人は[若年性]が付かない。同じ認知症なのにだ。もちろん、本人や家族が抱える課題や社会の認識等に大きな違いはあるが、こと本人の認知症に関してのみ言えば、同じなのだ。

それを基盤に考えてみたい。

平成23年4月15日付で厚労省より出された通知は当ブログでも紹介しているところだ。
1.jpg

2.jpg

今までのことを振り返ってみると、通知が出されたことは確かに一歩前進だ。ただ、この「役に立つことで謝礼が欲しい」「自らの存在意義を確かめるために謝礼が欲しい」はたまた「孫にオモチャを買ってあげたいからお小遣いが欲しい」等といった本人の想いや欲求は、年齢によって変わるのだろうか?

形は違えど”はたらく”ことは生活の一環であることは言うまでもないが、それが「生きがい」「やりがい」「充実」「満足」「幸福」などと密接に関係している。

そう考えるならば、たとえ40歳代であっても70歳代であっても想いは変わらないはずだ。実際にDAYS BLG! に参加しているメンバーさんは年齢は違えど、皆同じ想いを持っている。

それを年齢で区切るのはいかがのものだろう。

例えば極端に言うと、明日誕生日を迎える64歳の人がいる。その人は、今日まで”はたらく”ことで謝礼を受け取っていた。それが明日の誕生日を迎えることで、同じ”はたらく”ことでも謝礼を受け取れなくなる。昨日と今日とで何が違うのか?

【生涯現役】という言葉がある。皆同じことを想っているのではないだろうか。それは認知症であっても、そうでなくても【生涯現役】という言葉の前には同じはず。

年齢ではないはずだ。この矛盾を問うために、2013年2月8日(金)厚労省へ行く。皆さんの応援よろしく。


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反社会的行動?? [感じたこと]

久し振り過ぎるブログの更新。最近は色々と忙しく・・・、なんて当たり前の言い訳。今回、更新するキッカケを頂いたことが3点あった。

①ある方から相談を受けたこと「前頭側頭型認知症について」反社会的行動がピックアップされているが、私なりに最近感じていることを発信していない。

②小田原方面の方から「ブログを見ていて、是非、今度お話を聞きたい」という連絡があったこと。

③あるブログの読者より「ブログを読んで、自分は間違っていなかったんだ!と勇気付けられた」というエピソードを聞いたこと。 

特に②③のように嬉しいことを言われると、私は舞い上がるタイプだと改めて気付いた。豚もおだてりゃ木に登る~♪と同じである。

そこで今回はタイトルにもあり、また①にもつながる前頭側頭型認知症の人に対してよく言われている『反社会的行動』について、私の最近感じていることを発信していきたい。

そもそも反社会的とは、社会の規範に反することである。

では、よく言われている前頭側頭型認知症の人が“万引き”をすることはどうか。“万引き”は悪いことと自らが理解をしている上で、商品等を盗む行為 である。一部の前頭側頭型認知症の人がする、それは当てはまるのだろうか?

私が思うに、前頭側頭型認知症の人は注意力が一点ずば抜けるタイミングがある。それは強迫観念の「わかっちゃいるけどやめられない」とは違い、「好きなこと(もの)に対して、周りが見えなくなる」ほどの注意力。もちろん、これは全員に当てはまらないことは周知の事実。 

例えば、大福が大好きで食べたいと思いスーパーへ行く。大福のコーナーに立ち、「食べるという集中力が高まったとき」食べてしまったり、ドライブが大好きで出掛けたいと思うと「運転に関する集中力が高まったとき」運転してしまうこともある。

でも、その集中力が高まった後は、全体的な集中力が低下することで、集中力が平均化してバランスを取っているようにも思える。その集中力が低下したときの状態は記憶の蓋が障害され、 反動から来る疲労とストレスが入り混じった状態になっている。

では、「認知症の人は注意力が低下する」ということと反対なのではないだろうかと言う人もいるだろう。でも、それはアルツハイマー型認知症の一部に見られる症状だけを、全ての認知症の人に当てはめてはいないだろうか。つまり、認知症というカテゴリーに全ての人を入れてしまっているのだ。

しかも全てのアルツハイマー型認知症の人が集中力が低下するわけでもない。色々な環境因子や元々の性格等によっても変わるだろう。嫌なことは続かない、これは私たちでも同じ。当たり前。

話を戻して、この集中力が高まった結果が反社会的な行動と呼べるのであろうか。集中力が高まるキッカケ、つまりは「好きなこと」に取り組んで頂けたら、もの凄い力を発揮されるだろうし、それはもう反社会的行動からかけ離れたものであろう。

そもそも反社会的行動ではないのだから。


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認知症対応型・・・ [介護・福祉の疑問]

今回は早々のブログ更新。前回の「愚痴。」にてストレスを発散したからかもしれない。

ところで私たち介護及び福祉の世界では「認知症対応型〇〇〇」といった介護保険サービスの種類があり、しかもそのカテゴリを”普通”に感じてしまっている。もちろんこのカテゴリには、認知症の人たちが利用しやすい[環境]、認知症ケアのスペシャリストがいる[資格要員]、スタッフが多いといった手厚い[人員配置]などが求められているし、揃っていなければならない。

しかし、見方を変えると「認知症対応型〇〇〇」に認知症の人を社会から隔離しているようにも見えてしまう。 

そう見えてしまうと、地域とのつながりとか、社会との接点を再構築とか、地域社会のネットワークにおいてとか、認知症対応型の大義名分を掲げ社会から好き勝手に隔離しておいて、何を今さらと思ってしまうのだ。再び地域や社会とつながりを求められても意味がわからない。

認知症の当事者や家族は、世間の抱いているイメージやスティグマ、世間の理解不足によって相当辛い思いをしている。

痴呆症から認知症と呼称が変わってから随分経つが、まだまだこんなレベル。真意を理解している専門職はいるが、その数十倍の専門職?は「ニンチ」とか「アルツ」とか言っている始末。まだまだだ。

介護及び福祉の多くの住人だってそんなレベル。だから世間一般の人たちに正しく伝わるには相当時間がかかる。その相当な時間は認知症の当事者や家族が辛い思いをし続ける時間でもある。

私たち介護及び福祉の住人は、待ったなしで学び、活かし、疑問を感じる視点を育て、今の社会を変えていくよう努力しなければならない。 


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愚痴。 [感じたこと]

今度は2ヶ月ぶりのブログ更新。NPO町田市つながりの開が次世代型デイサービス「DAYS BLG ! 」をオープンして、色々な書類が山積みになり、課題も山積みになり、それらを全て乗り越えていくうちに様々な人間関係も見えてきた。良くも悪くも。

今まで見えてこなかった部分(人間の本質のようなドロッとした生臭いヤツ)が見えてきたという訳だ。

私たち支援者は
①本人の想いや希望をどうすれば実現できるのか
②その想いや希望をどう汲み取ることができるのか
③日常生活とどう結びついていき、効果はどれくらい見込まれるのか
④力を最大限引き出せている、もしくは環境を整えることができているのか
⑤全ての事に対して目的や目標が設定されているのか
⑥支援者の自己満足に陥っていないだろうか
⑦接し方や話しかけ方は間違っていないだろうか
⑧家族の介護負担軽減とは何だろうか
等々、挙げればキリがないが、いつも考えていることだ。

それくらい純粋に真っ直ぐ考えているのにもかかわらず、大抵ドロッとした横やりが入ることになる。誰も口にしたことのない話や驚くほどの内容が殆どだ。噂をされるのは注目されていることとして捉えることができる。けれども噂はあくまでも噂。そして尾鰭が付いて「あることないこと」から「ないことないこと」へと変貌を遂げる。それはウルトラマンのように大きくなって。

自分のことは二の次に、相手のことを常に考えて今までやってきたつもり。けれども自分の悪口だけならまだしも周りの人や家族のことにまで及ぶというのは、些か大人げない。しかも間接的にだ。。。

派閥争い?利権奪取?そんなくだらないことはどうでも良い。私たちは純粋に認知症という生活を送る上での不便さを感じている人たちと共に、どうすれば…と考えて実行することだけに力を注いでいきたい。くだらないドロッとした人たちは間違いなく足枷になっている。

言うのは簡単。批判するのはもっと簡単。 憶測でモノを言うのは野次馬。

こんな場所で愚痴を言っていても仕方がない。ストレスがだいぶ溜まっているのかな、自浄して、もっともっと学ばなければ。明日からまた気持ちを入れ替えて頑張ろう!


タグ:愚痴
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認知症でも・・・? [介護・福祉の疑問]

またまた1ヶ月ぶりの更新。何とか1ヶ月に1度はこれからも更新していきたい。何とか・・・。

ところで、色々なところで目にする標語『認知症でも安心して暮らせる〇〇〇』だが、実際に何か形となって取り組んでいる行政はどれくらいあるのだろうか?

かくいう当法人の事業にも掲げていたりする。そして、実際に手探りながらも活動していたりする。詳しくはfacebookの法人ページを作成したので、そちらを見て欲しい。近日中にホームページもUPするので、少々お待ちを。

でも最近感じているのは認知症というカテゴリーを作り過ぎてやしないだろうか、ということである。『認知症でも安心して暮らせる〇〇〇』という標語も、見方によっては認知症の人だけが”優遇”もしくは”特化”されているとも捉えることができる。

WHOの障害定義からすると、生活し難いと感じている人及び生活上の不便さを感じている人となっている。このブログでも何度か生活障害という視点で取り上げてきたことだが、そこの視点から考えると、認知症の人だけが”優遇”及び”特化”されているようでならない。

言葉は大事である。ひょっとすると、そこには既にスティグマが隠されているのかもしれない。

だが例えば『認知症であっても誰であっても安心して暮らせる〇〇〇』とするとどうだろうか。受け止めるイメージが変わるのではないだろうか。

再度言うが、WHOの障害定義を引っ張ってきて、生活障害という視点で考えると私たちも少なからず生活し難い、生活上不便を感じている当事者として含まれる。そう、誰もが当事者として、一市民として。

そこから生まれてくる考えは、認知症というカテゴリーを取り払い、生活障害という考えの基に自分事として捉えることで、認知症の偏見を減らすことができるはず、ということだ。

明日から当法人の事業も『認知症であっても誰であっても安心して暮らせる町づくり事業』と名称変更しよう。また当法人の次世代型デイサービス【DAYS BLG ! 】この考えにより、敢えて一般型でチャレンジしていく。

言葉は大事。


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魔法言葉「身体機能回復」 [介護・福祉の疑問]

約1ヶ月ぶりのブログ更新。

「介護保険制度は財政破綻により崩壊するだろう。」という意見を聞いた。んー、何とも暗い未来予想図だ。お先真っ暗、先行き不安、生き難い社会が想像できてしまうかもしれない。

このブログでも何度か触れてきたことだが、介護保険の【無駄遣い】が気になる。何のために介護保険サービスを利用するのか。現在はその本質的な部分が抜け落ちているのではないだろうか。

自身の目指している目的や目標を達成するために介護保険サービスを利用した結果として、自身の生活を豊かにすることが本質の部分なのだが、ここが抜け落ちていることが多い。例えば、身体機能の維持回復をすることだけが目標となっていて、その先がない。身体機能の維持回復は手段であって、目標ではないはずだ。

この「身体機能の維持回復」という便利な魔法言葉によって、本来介護保険サービスが必要のない人たちまでを集めている事業所がある。何のためか、それは金儲けのためだ。

元々、整形外科などの待合室で”集会”を開いていたオバちゃんたちは、友人に会うために整形外科へ通っていることも少なくなかった。それが”集会”で会っていた友達が一人、また一人と身体機能回復という魔法をかけられて消えていく。どこへ消えたかというと、デイサービスという魔法城。

すると”集会”から残されたオバちゃんは、友人に会うために魔法城に行きたいと思い、ケアマネ魔女に依頼する。するとケアマネ魔女は「身体機能の維持回復~★」と魔法を唱えて、オバちゃんを魔法城へ送り込んでしまうのだ。

今までは自宅から歩いて整形外科へ通い、無料(受診料はかかるが)で”集会”を開いていたのだが、魔法城へ通うようになってからは、ハイエースという名のかぼちゃの馬車が送迎をしてくれて、有料で”集会”を開くようになった。しかも、その有料部分の9割は国の財源から支給されている。

整形外科まで歩くことで、自然と身体機能の維持回復ができていたのにもかかわらず、現在は身体機能の低下もしくは維持を有料でやっている。これじゃ、財源は幾らあっても足りない訳だ。

ここに「まだまだ働きたい」という想いを持った営業マンAさんがいる。でもAさんは脳血管性認知症により車いすに乗って移動しなければならない。このAさんが次のような支援により、介護保険を利用して目標を達成した。

=目標「働ける」=====

・通所リハビリを利用し身体機能の維持回復を図る。

・短期目標を達成したところで介護保険の利用終了。

・通勤は隣人のご主人が自宅の最寄り駅まで車いすを押してくださり、会社のある駅からは同僚が車いすを押して出勤。

・営業は部下と一緒に回る。

・取引先からの絶大なる信頼を得ているAさんは、取引先からも「Aさんがいないと、ウチは取引しないよ」と、Aさんがその場に居るだけで商談成立。

・支援が必要な場面は幾つかあるが、Aさんの目標としていた「働ける」を達成。

・通勤と営業回りが自然なリハビリにもなり、身体機能の維持回復となっている。

=============================

このAさんは、働きたいという目標を達成するために介護保険サービスを利用し、想いの実現によって生活も豊かになることができた。

全てを介護保険サービスで賄おうとするのではなく、何のために介護保険サービスを利用するのか。その辺りをもっともっと深めていかなければならないだろう。それは介護保険サービスは生活を支える一つの道具なのだから。


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