根拠のない「大丈夫!」 [感じたこと]

よく本人が「私最近忘れっぽくて・・・。もう呆けちゃったのかしら・・・。ハァ。いよいよお迎えが来たかねぇ。。。」という不安が強く“居ても立っても居られない”状態で、マイナス思考の悲観的な気持ちを打ち明けてくれることがある。

そんなとき、よく耳にする言葉が「私も最近忘れっぽくて!(だから)大丈夫ですよ!」と明るく話す50代のスタッフ。

本人からしてみると「何が?」ということになるだろう。つまりは「アンタと私は30歳も年が離れているのよ!そんな気休めな薄っぺらい言葉なんて逆に見下されているわ!!」ということ。

そりゃそうだ。

本人は病名を告知されていなくとも自覚はある。“私も同じ”なんていう馬鹿げた非常識な冷たい言葉は、見るだけで健康的な輝いているスタッフから出てきてしまうのだ。

この“私も同じ”という言葉が、同年代の認知症の人が言うのであれば、ピアカウンセリング効果もあり有効になるだろう。ただ年も離れた明るく健康的なスタッフが言ってしまっては、崖から突き落としているようなものだ。

だからこそ、「何が大丈夫なのよ!」となってしまう。怒り・不安・憎しみに変わる言葉、それが根拠のない「大丈夫ですよ!」の一言だ。

伝わりやすくするために、例を挙げてみよう。実際に私が遭遇した根拠のない「大丈夫です!」とは・・・、

北海道へ出張のために飛行機に乗った。いよいよ滑走路に入り離陸という時に、機内アナウンス「当機はエンジン部分に異常が認められました。一旦、ドッグに戻り安全確認を行います。お急ぎのところ誠に申し訳ございません。」が流れる。

ドッグに戻ると、ドカドカっと10人以上の整備士が機内に入ってきて、何やら奥で作業をし始める。その作業が見えないようにCAが前に立ち塞がり殺し文句の「大丈夫ですよ!」と優しい笑顔を乗客に振り撒いている。

このときの「大丈夫ですよ!」は非常に不安になった。何が、どう、大丈夫なんだ?飛行機を変更したほうが良いのではないか?ちゃんと飛ぶのか?と。

30分くらいの時間が過ぎ、機内放送が流れる。「ご心配をお掛けしておりました故障ですが、計器が原因と判明致しました。修理が完了致しましたので、当機は再び滑走路に向けて走ります。お急ぎのところ大変申し訳ございませんでした。」とね。

私の心は「おいおい、本当に大丈夫なのか?まだ変更は可能だぞ。乗換なら今だぞ。」という不安一杯な状況。しかもCAは穏やかな笑顔。

これは私たちケアラーはよくある場面なのではないだろうか?「大丈夫ですよ!」と言って、不安を強くしないために穏やかな笑顔を振り撒く。

入浴の不安が強い人に「大丈夫ですよ!お風呂は気持ち良いですよ。」→本人「そんなことはわかってる!馬鹿にするな!」

トイレに間に合わなかった人に「大丈夫ですよ!新しいズボンに着替えちゃいましょう。」→本人「何が大丈夫?私は恥ずかしいし、落ち込んでいるのよ。アンタなんかに・・・!!」

だから、何が大丈夫?なんだ?

根拠のある大丈夫とは、以前にも書いたが“絶対的な信頼感と圧倒的な安心感”と“居るだけで、声が聞こえるだけで、視界に入るだけでホッとする人”が「どうしました?」と聞くことが、それに該当するのではないだろうか。そこで、自分の中で本人の気持ちを受け止めてから、大丈夫と判断した上での「大丈夫!」ではないだろうか。

想像して欲しい。根拠のない「大丈夫!」と根拠のある「大丈夫!」の違いを。

そして、本人が「私最近忘れっぽくて・・・。もう呆けちゃったのかしら・・・。ハァ。いよいよお迎えが来たかねぇ。。。」という不安が強く“居ても立っても居られない”状態で、マイナス思考の悲観的な気持ちを打ち明けてきたときに、アナタはどう受け答えるのだろうか。


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