認知症ケアというコトバ???【違和感】 [感じたこと]

「認知症ケア」というコトバ。

認知症ケア専門士、認知症ケア〇〇学会、認知症ケア〇〇研修、認知症ケアの新しい試み、認知症ケアとは・・・、巷では様々な分野で『認知症ケア』というコトバが使われている。

私たち専門職も『認知症ケア』というコトバを疑問視しないまま使ってきている。でも最近思うのことが、この『認知症ケア』というコトバに対して「どうなんだろう???」と感じている。

そもそも論は面倒なのだが重要なので引張ってくるが、ケアとはその人を中心に考えるもの。それは環境などのモノから社会、人、全てを含んで本人を中心に考える。

認知症そのものをケアしている訳ではない。

それなのに『認知症ケア』と呼ぶことに違和感を覚える自分がいる。例えば脳梗塞。ある友人が「脳梗塞ケアとは言わないね」と言っていた。高次脳機能障害ケア、視覚障害ケア、聴覚障害ケア、筋ジストロフィーケア、メタボリックシンドロームケア・・・等々とは言っていない。

それなのに何故、認知症だけ『認知症ケア』と呼ぶのだろう???

ケアというコトバには弱者、障害者の世話をして「あげる」といった強者からのサービスというアメリカのニュアンスがある。ということは、そのままの意味で捉えると認知症を世話して「あげる」という意味になるのか???

例えば認知症を障害として捉え、認知症がある状態から「どのように生活していくか」というリハビリテイトの考えに沿うとしっくりくる。

この考えをケアとすると、障害はケア、病気はキュアと分けると良いかもしれない

では『認知症ケア』はどう考える?認知症をケアしている訳ではないし、他の障害ケアについても考えなければならない。

日本のニュアンスとして、リハビリテイトの考えを基本に置き『認知症生活ケア』とかはどうだろう?他の障害ケアも『高次脳機能障害生活ケア』、『視覚障害生活ケア』などとするほうが自然だ。

答えはすぐには出てこないかもしれないが、モヤモヤしていることを書いて、皆さんの考えるキッカケになればと思った。


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コメント 2

飯塚裕久

認知症ケア=認知症の特性を理解して生活支援する、でいいのではないかと思います。

片麻痺のケア、と同様な考え方で。

すると、片麻痺の人が日常生活(特に、移動)などを支援するのと同様に、認知症の人に、短期記憶障害があるならば、その記憶を補完するような支援をする。

それを安心感、人として、寄り添うという抽象的な言葉で語ることを是としていることに問題が有ると思います。認知症ケアは、認知症の機序を理解してアプローチするものだと。と言うことは、機序が解明されつつある今では、それに合わせた最新のケア論が出てくるはずなのですが、面倒なので、人として~、に戻ってしまう。

丸一年前の記事ですが、もしよろしければ、お読みください。
http://ameblo.jp/fuckinggulf/entry-10659589093.html
by 飯塚裕久 (2011-09-29 10:11) 

Maechan

>飯塚さん
なるほど!認知症ケア=認知症の特性を理解して生活支援する。う~ん、さすが!少しモヤモヤが晴れてきました。

またブログも拝見致しました!(RSS)に入れても良いですか?というよりも入れてしまいました。

町田にNPOを立ち上げようかと考えています。そのときは是非、遊びに来て下さい。
by Maechan (2011-09-30 10:45) 

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