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本人から宝の言葉 [本人意見]

佐藤雅彦さんと一緒に函館観光をしてきた。もちろん私はサポーターとして同行していたのだが、途中どちらがサポーターだかわからない程、助けてくれた。

~第一日目~

▼浜松町駅で待ち合わせ

そこから羽田空港まで一緒に行くことにしたのだが、私は万が一を考えて9:00を集合時間として設定した。飛行機の時間は10:30発。

すると朝一番に携帯電話が鳴り、佐藤さんから電話。「駅探で調べたら浜松町から空港まで22分で行けるよ。待ち合わせ時間が少し早いんじゃない?」とのご指摘。確かに私も少し早く感じてはいたが、万が一も考えられたので「空港でコーヒー飲みましょう」と提案する。

▼函館空港に到着し、その足で『南北海道認知症フォーラム』へ出席

最後締めの挨拶していた北海道グループホーム協会副会長の中村さんから急に佐藤さんへ「一言」と振られる。

すると佐藤さんは「認知症だと何も出来ないと思われていますが、認知症でも出来ることが沢山あります。私は研修の内容をテープレコーダーに録音して、自宅のパソコンを使用して逐語録をつくります。あと携帯電話で写真を撮って、友人に写メールも送れます。私はエンジニアをしていたこともあり、その辺はまだできます。だから認知症でもまだまだ出来るということを知ってもらいたいです。」と応えた。

▼居酒屋で打ち上げ

私が1杯目の生ビールを飲み終えて、ウーロンハイを注文したとき「前田さん、お酒は1杯までと医者から言われているでしょ。」と注意を受ける。

1ヶ月?2カ月?くらい前、佐藤さんと東京センターの永田さんと飲みに行く機会があった。そのときに私が「目まいが原因で、医者からアルコールは1杯までと言われていて・・・」と話した。それを佐藤さんが憶えていたのだ。

また、こんな話も憶えていた。「前田さん、駅のホームは真ん中を歩くようにとも言われているでしょ。

・・・確かに言った。

▼ホテル

佐藤さんと一緒に温泉露天風呂に入ろうということになり、10:00にお風呂の前で待ち合わせ。ピッタリの時間に佐藤さん現れる。

下駄箱にサンダルを入れ、脱衣籠に衣服を入れてお風呂に向かう。温泉が気持ち良く、私が長湯していると「前田さん、ビールも飲んでいるし、のぼせちゃうよ。そろそろ出るよ。」お風呂から出ると、自分の籠の位置や下駄箱の位置をしっかりと把握されている。

私は「佐藤さんの出来ること、まだまだイッパイありますね」と言うと、佐藤さんは笑いながら「一人暮らしをしているから、色々と気を付けながらじゃないと生活できないからね。だから常に意識していないと忘れちゃう。疲れるけれど意識し続けることが大切。あと集中できる時間は1時間だね。

一人暮らしをしていても、外に出て色々な人と話さないとダメ。

朝もお風呂に入りたい私は「佐藤さん、明日の朝はお風呂に入りますか?もし入るなら、一緒に入りましょう。その時は電話してください。」と伝え、それぞれの部屋へ。

~第二日目~

早朝、携帯電話が鳴っている。「前田さん、お風呂に行きましょう。お風呂の前で待ってます。」と佐藤さん。

▼中村さんと合流して函館観光

ホテルを出発して立待岬、

DSC_0094.JPG函館山から市内を[カメラ]

DSC_0095.JPG五稜郭タワーから[カメラ]

DSC_0096.JPG大沼公園[カメラ](千の風になってモニュメント)

移動の車中でも「認知症だと失敗することが多い。それを追求されると立ち直れないことがある。失敗しても良いんだという社会になって欲しい。

なかなか言葉が出てこない人もいるけれど、それは家族なりケア職が言葉を“出てくるまで待つ”ことをしないから。始めは話そう、伝えようと思っていたけれど、待ちきれなくなって代弁しちゃう。そうすると話さなくてもよくなっちゃうから、気付くと本当に話せなくなっている。もっと待つことの重要性を知って欲しい。

その他にも・・・本当に色々と話されていた。

そしてサポーターだったはずの私も支えられていると感じ、支え合うことの重要性とお互い様の精神を改めて認識した。そこには認知症は関係ない。人として支え合いながら、社会生活を送ることが至って“普通の幸せ”なのではないだろうか。

今回の佐藤さんから出てきた言葉(太字部分)の数々。皆さんはこれをどう受け止め、どう感じ、学び活かしていけるか。

佐藤さん↓『朝日新聞より』

 

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Hさん「認知症を撲滅していきたい」の想い~認知症と共に生きる~ [本人意見]

本人の意見を聞こうと、以前、町田市にて『若年認知症を生きる in 町田』を開催した。そこで壇上に登り、Hさんと私のやり取りの中から本人の想いを皆に聴いて頂こうという趣旨。

まだその頃は、日本で初めてカミングアウトされた越智俊二さんや太田正博さんらが想いを発信していた時期だった。

そんな中、勇気を出して「僕と同じ認知症の人が、僕を見て元気になれば!」とインタビュー形式の講演を快諾してくれた。そしていざ、想いを語る・・・。

Hさん「僕は今まで認知症だと何もできない、絶望的だと思って落ち込んでいました。でも、活躍できる場があり、仲間がいて、今は楽しいです。」

前田「今はプールも行かれて、楽しまれているということですが、どれくらい泳ぐことができますか?」

Hさん「それは前田さんがよく知っているじゃない!」

前田「・・・。え~、それじゃ最後に同じ認知症の人たちへメッセージを。」

Hさん「この先、認知症を治す薬が早く開発されることを望みます。そして僕は認知症を撲滅させてみせます!」

というような想いを伝えてくれた。そしてこの後、工務店メンバー3人が花束を持って壇上へ・・・。もちろん、Hさんは感激して熱い握手と涙で応戦。

この「認知症を撲滅する」という言葉には、どれほどの覚悟と勇気と強い意志が必要なのだろう。現在では一般的に認知症は治らない。ともすると、認知症を持ちながら、認知症と一緒に、生活をしていかなければならない。

自分らしく生きていくためには、もっともっと認知症についての正しい知識が普及し、意思を上手く伝えられなくなったとしても、誰かが汲み取って意思疎通が図れるとどれだけ安心することができるだろう。

認知症と共に生きる。

認知症と上手く付き合いながら楽しみや生きがいを見つけ、生活しづらくなった場合はそっと支援を受けながら、無理せず自分のペースで生きる。

Hさんの場合は「撲滅する」ことが役割になって、仕事を楽しみ、今日も元気に生きている。


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帰りたい [本人意見]

「何だか体がしんどくてもう帰りたいわ。もう家に帰っても良いでしょ?ここからどうすれば家に帰れるの?道はわかるから大丈夫!どうもお世話になりました。」

ある女性が言っていた。

高齢者で気を付けたいのが、この「帰りたい」という言葉だ。居場所がないから、面白くないから、不安だから、等という考えが専門職であればあるほど浮かんできてしまいがちだが、高齢者というキーワードがここにある。

高齢者は昔から皆がいる前ではシャキっとしていることが多い。もちろん、すべての方に当てはまることではないことを前提にしているが、それでもシャキっとしている人も多いことは事実。

何故気を付けないといけないのかというと、体調不良のサインを我慢している人もいるからだ。ただでさえ、高齢になるとそのサインが表れにくいのに、認知症ケアに携わっていると“職業病”でもあるのだが、心の奥を読み取ろうとする努力をしてしまう。思わぬ大病が隠れている、もしくは現れているのかもしれない。

本人は「何だか体がしんどくて」と言っているにもかかわらず、不安なのかな?と考えながら声を掛けてしまう。もちろん、それは大切なことなのだが、こういったサインもあるということを頭の片隅に入れておくと、色々な“引き出し”を持つこともできるだろう。

今朝、スーパーにて20代の女性がレジで支払いをしている場面を後ろで並びながら見ていたのだが、店員さんが「お箸をお付けしますか?」という問いに「うん」という返答・・・。

思わず「友達か?」と言いたくなってしまったのだが、ジェネレーションギャップなのか、私にもそんな時代があったのか、中年世代にいるからなのか、色々な思いが頭の中を過った。

この20代の女性に高齢者の「皆がいる前ではシャキっとする」習慣を見習ってもらいたいなぁと勝手に思い込んでしまった。電車の中での化粧もねぇ・・・。

いよいよ、自分がオッサンになった証拠か?


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認知症本人が持つ“想い” [本人意見]

「まだまだ社会参加がしたい」「できることがあるということが実感できる」「楽しい場所で仲間がいる」・・・等々、本人が想っていることが実現できる場所づくり、環境づくり。

DSC_0017[1].JPG子どもたちからは「おじちゃん!」と呼ばれ・・・。

介護・福祉という言葉にはどこか堅苦しいイメージがあるのだが、簡単に考えると場所づくりという環境を整えることが既にケアの一つになっている。

どこか身体介護というイメージが先行しがちだが、身体介護というのは知識があれば誰でもできる。認知症ケアは知識も必要だが、「どうすれば具現化できるのだろう?」というような本人の視点に立ったつもりで考える柔軟さが重要視される。

例えば、「紙やすり掛けを通して社会の役に立ちたい」と言っている人がいるとする。でも認知症が深まっていくにつれ、紙やすりが持てなくなってしまった。その場合は「どうすれば紙やすり掛けを継続できるのか?」と、できる方向に考えをシフトしていく。

実際には紙やすりを「持っている」という認知機能が障害されてきて、軍手のままで掛けている状態が見受けられる。紙やすりは薄いからね。

そこで思い付いたのが紙やすりホルダーだ。紙やすりを巻き込み、更にグリップが付いていて握ることができる優れものだ。

これに変更してみると、グリップを認知されて本人も思いの丈に作業することができ、曇りの表情からパァっと明るく満足の表情になり、「良かった!」と言って頂けた。

これは個別ケアの一環だったが、それを勘違いしている人がいる。べっとりと一日中くっつくのは個別ケアではない。気持ちが悪すぎる。

個別ケアとは、その人の想いや気持ちを推し量りながら、「どうすれば実現できるのか」「どうすればプラスの方向性に動くのか」「どんな想いがあるのか」等々、話を聴くことである。せっかく2人だけの時間なのだから、有効活用しないと。

普段聴けないような話、2人だけの秘密の話、本当の想いなどを聴くだけでも信頼関係はUPするものだ。わざとこの時間を設ける必要もあるくらいだが、こちらも聴く雰囲気をつくらねばならない。

要は、個別ケアというのは時間の長さではない。中身の濃さなのだ。また、改めて話を聴こうとするとかえって緊張されてしまい、なかなか話が出ないことはよくある。

だからこそ、入浴中やトイレ、食後の休憩中などに~しながら聴いてみる。そうすると普段とは違った想いが聴こえてくるはず。その話を聴きながら次の戦略「どうすればできるかなぁ」と考えてみることが個別ケアだ。

そして大切なのは、聴くだけではなく、実際に動いてみることが本人にとって価値のあることにつながり、信頼関係も構築される。そこには人対人の関係もできているだろう。

上にある写真の子どもたちは本人に接するとき「おじちゃん!」と言っている。本人たちも「認知症のおじちゃん」ではなく「そこら辺のおじちゃん」と呼んで欲しいと想っている。つまりは人対人の関係を求めているのだ。

誰もが「そこら辺のおじちゃん(おばちゃん)」になれるような環境をこれからつくっていきたい。


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本人からメールが届きました。 [本人意見]

メンバー本人を騙すことなく、
ようやく、ようやく!給与(ボラ謝金)を出せます!!

本物の給与を出せることは、私たち専門職としても嬉しいのですが、
何よりもメンバー本人が一番嬉しく思われると想像しています。
給与はやっぱり手渡しですよね!

昨日、とある本人からメールが届き、
「やったね!前田さん!!」と言って頂けました。
嬉しいです。何よりです。
ちょっとウルウルしてしまいました。

でも、これをきっかけとして、
まだまだ次へ進まなくては!
65歳以上の方の「働きたい!」をどうする?とかね。
間口を広げるぞ!!
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