子どもと一緒に [活動報告]
今、町田市が熱い!社協も熱い!
認知症に関することで様々な事業が動き始めている。
学童保育所にて「認知症を学ぶ会」なるものを考えている。対象は低学年児童と先生たちで、教材?は熊本県の○□○市が作成したものを使用予定。実例のストーリーに沿って、児童たちが感じたままに一枚ずつ絵を描き、それを絵本にしたもの。今回はそれを基に、紙芝居形式で行う。
児童から児童への知識と感性のバトンタッチ。
町田市の児童に関しては、私が勤務していたデイサービスにて以下の交流をしていたこともあり、町で会うと「あっ!○○さんだぁ~♪」と声を掛けてくれる、そんな馴染みの関係が形成されている。
①保育園、小学校、学童保育所へのボランティア活動(清掃、草取り、修繕等)
②保育園への雑巾作成から商品卸
③公園でザリガニやカブトムシを捕獲、児童へプレゼント
④昔の遊び伝授
⑤小学校の掲示板への作品展示(デイサービス内で利用者さん制作)
⑥駅前のクリーンキャンペーンへの参加(町内会長、民生委員、役員、市民、児童等が参加)
⑦公園に遊びに来ている子どもたちの給水所(麦茶)
⑧保育園児と風船バレーの対抗戦
⑨保育園の運動会への参加
⑩保育園児と一緒にカレーづくりや鍋づくり、パーティーを併せて開催
ざっと交流する機会を思い浮かべただけで、こんなにある。多い時は週に5日、少ない時でも週に3日は自然な交流があったと思う。
その交流を通じて、子どもたちは認知症というものを感じ取りながら成長していく。いや、そんな大それたものではなく、自然に接することを日常としてきた。つまりは人対人の関係。
そんな関係作りを町田市や社協がバックアップを始めようとしている。つまりは市民の意識を変えていこうとしているのだ。
子どもを通じて保護者にも伝わる。この“口コミ”の威力は絶大で、ある日、小学校の畑で農作業をしていると、「いつもお世話になっています!私たちも手伝います!」と小学生の児童と保護者が率先して手伝ってくれた。
そんな馴染みの関係が広がっていくと、認知症になっても気を遣わずに、躓いたり失敗しても良いじゃないかという「ドンマイ社会」が生まれる。
この「ドンマイ社会」、肩ひじ張らずに、気ままに暮らせることが出来る。想像しただけでも温かいと思うのは自分だけだろうか?
本人と一緒にギターリサイタル [活動報告]
今日、東京文化会館にて荘村清志さんのギターリサイタルに、佐藤雅彦さん(当事者)と一緒に鑑賞してきた。
佐藤さんとは18:30に上野駅公園改札口にて待ち合わせをし、お互いに初めてであるギターリサイタルなるものを始まる前から楽しんだ。
19:00開演だったのだが、既に人で溢れかえる入場口。「一番前に並んでいる人は何時から立っているのだろうね?」などと会話しながら順番を待つ。
ようやく会場ホールに入れたかと思うと、いわゆる“良い席”は“ご招待席”として座れなかった。仕方なく、それでも残りの席から良い席を確保して開演をドキドキしながら待った。
開演してしまうと写真撮影や録音ができなくなるので、開演前にパシャっと1枚。すると佐藤さんも「僕も」と携帯電話で写真をパシャ。
↑開演直前に慌てて撮ったのだが、佐藤さんは冷静。
途中休憩を挟み21:00閉演、佐藤さんとは上野駅で別れた。そして40分後、私の携帯が鳴り「無事に家に着きました」とメールが送られてくる。
メール「無事に家に着きました。今日はギターコンサートにご一緒くださり、とても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます。」
佐藤さんは普段から、『認知症でもまだまだ出来ることはたくさんあります!』と訴えてきているのだが、自らそれを実践して見せてくれている。もちろん、日常生活の中で困る部分や躓く部分もあるのだろうが、ほんのわずかな支援があれば、好きなことや楽しみを続けていくことができ、そうすることで生活にも張りが出てくるのではないだろうか?
佐藤さんには人として、先輩として、見習う部分が多い。また僕が教えられることや、励まされることも多い。
私が今日の待ち合わせ予定をメールで佐藤さんに送信したところ、佐藤さんより「前田さん日にちが間違ってます。」と指摘もしてくれる。本当に頼れる兄貴だ。
認知症になっても、今までと変わらず人対人の関係性、その大切なことを佐藤さんから学ぶことができる。だからこそ、ここでは兄貴と呼ばせてもらった。
認知症になっても自由に好きなことや楽しいことができ、お互いを支え合いながら、迷惑を気軽に掛け合うことのできる社会がもっともっと身近になって欲しい。
できることから始めよう。
だって、僕らもいずれは認知症になるのだから。
認知症の人が持つ“第6感” [活動報告]
『長谷川式スケール』で有名な長谷川和夫さんと講演会でご一緒したときに聞いた話で、「認知症の人は第6感があるのだよ。」と言う。
元々、認知症は脳の障害。他の障害と同じように、障害をカバーしようと他の部位が頑張って能力を補おうとする。それにより、生活しづらい部分をカバーする能力が目覚めるのだとか。
例えば、目に不自由があり、それを補おうとして聴力や嗅覚、また肌で感じる様々な能力、それらが、発達して視覚からの情報を補うことはよく知られている。それと同じことが脳内で起こっているという。
それは相手の心を読む力。
私はハッと思い当たることがあることに気付いた。
認知症を発症し進行すると人の名前や顔がわからなくなることもある。そういったときに、「この人は私に危害を加える人か、よくしてくれる人か、私のことを理解してくれる人か、邪魔者扱いされたことがある人か・・・」要は、“良い人”か“悪い人”の区別を瞬時にされる。これを経験している人は多いと思う。
極端に例えると、トイレのときにAスタッフは「もう!嫌になっちゃうわよね。本当にいつも便で汚れていてさ!!」という感じでその人のことを思っている。
またBスタッフは「あらら、辛かったでしょう?もう大丈夫!私はアナタのことを、今でも尊敬しているし、これからも一緒に歩ませて。でも私の苦手な部分は手伝ってね。アハハ、持ちつ持たれつね。」という感じでその人のことを思っている。
そこで、Aスタッフがトイレに誘うと必死で嫌がる。今度はBスタッフが誘うと「そうやね。」と穏やかに応じてくれる。
相手の心を読む力というか、相手の“オーラ”を感じ取る力とでもいうか、こういったことが日々少なからず起こるのだ。
認知症になったら何もわからないのではない。どんな状態、状況、環境であっても、その力は衰えないばかりか発達していくのだ。また情動を伴う記憶も残っているのだ。
情動を伴う記憶というのは、喜怒哀楽を伴った出来事。例えば、5日前の夕食は美味しいけれどいつもと変わらない。7日前は寿司を食べに行って嬉しかった。すると5日前の内容は憶えていないけれど、7日前のことはよく憶えている。これは私たちと同じこと。
だから認知症になったら全てを忘れ、何もわからないと言っている人たちは悲しくも感じる。
究極のケア、絶対的な信頼オーラと安心できる存在感。ただそこにいるだけで、視界に入るだけで、声が聞こえるだけで、心が安らぎ居心地も良い空間となる。そんなスタッフがいるデイサービスをこれから考えていきたい。
内容はまた次回!
福祉の殻を突き破れ! [活動報告]
私が最近感じているのは、どうも福祉・介護業界という世界は営利企業に対して閉鎖的だなぁと思う。
ただその営利企業が福祉・介護業界に進出していると“仲間”になり、全く関係ない企業に対しては壁をつくり、遠ざかろうとする(中には友好的なところもあるけど)。
何でだろう・・・?
でも、それでは地域や町、認知症の本人を支えるには限界がある。この日本を支えている多くの人たちはサラリーマンなんだから。その多くの手や知識を活用すれば、大きな効果が生まれるのでは?
そこで、私は昨日とある場所に参加してきました!「オープンイノベーション」について考える会なのだけど、私たち福祉・介護に携わる人はこの「オープンイノベーション」という言葉も知らなかったりするわけ(私も最近知ったのだけど・・・)。
これは、企業や組織の枠を超えて共同で社会的課題に取り組むべく、多角的な意見を出し合って解決に向かう。そうしたら、利益まで付いてきちゃった♪というようなモノ(ざっくり説明してみました)。
例えば、これから認知症になる私たちにとって、GPSの使い方も変わってくると思う。認知症の本人が散策中に道に迷ったとき、今は介護者がPCを使用して現在地を探し本人を迎えに行くけれど、将来はスマートフォンのらくらくフォンのようなものにナビと通話機能だけ載せてみる。
すると認知症になった私たちが道に迷った時は自身で自宅までのルートを検索しながら、家に帰る。それくらいはできると思う。
そういう「認知症でも○○があれば、まだまだ地域社会で安心して生活できる」ものを、サラリーマンと一緒に考えてみると、色々なアイデアが出てくる。
私たちは、どうも福祉・介護のメガネをかけて見てしまいがちだけども、そんなメガネをかけていないサラリーマンの意見は新鮮で衝撃的で、思わず「なるほど!」と唸ってしまう。
共同という形で、今こそ福祉・介護の殻を突き破れ!
つながりの開 [活動報告]
2段構成での開催となりました。
本人、家族、専門職、自治会、企業、社協、行政、市議、市民、DFC東京事務局などが今回の参加者です。
「認知症でも安心して暮らせる町田市」を目標に、
①徘徊SOSネットワーク模擬訓練の実施へ
②子供向けの認知症サポーター養成講座資料作り
③認知症の人が救急外来受診や入院できない市民の○○病院の改善
④本人・家族交流会の報告と次回案内(6/19)BBQ大会
⑤本町田のグループホームと学童保育の定期的で自然な交流
等々がディベートされ、次回開催までに各担当した人が実施に向けて動くことになりました。
アルコール編では役職や立場を超えて(いつも超えていますが・・・)、
アルコールという名のガソリンを心に満タン注入していました。