ズドンっ!ときた言葉 [感じたこと]

最近悩んでいる。それは、自分で認知症ケアに関する事業を立ち上げていくかどうか。

ここでも何度かお伝えしているが、町田市で「(※)つながりの開」を開催しているが、今回そこを母体とした“社団法人”or“NPO法人”の設立という方向。

(※)タウンニュースに掲載されました↓

http://www.townnews.co.jp/0304/2011/06/30/109460.html

http://www.townnews.co.jp/0304/2011/06/30/109513.html

そんなときに、クロネコヤマトの宅急便でお馴染みの創業者「小倉昌男」の言葉である。

「まず実行しなさい。そして実行しながら考えなさい。失敗したら、そのときはそのとき。その失敗を踏み台に、前に進めばいい。やればわかるし、やればできるのです。やらなければ、永遠に変わらないし、永遠にわからないのです。」

普段、私は「やりながら考えてみれば良い。初めから決めたカタチだと柔軟に対応できないし、本人のニーズに合わせ難いものになってしまう。失敗したらそのとき考えることにして、見切り発車がちょうど良い。失敗こそが成功への近道だし、失敗という経験がないと脆いし、失敗100あって成功1かな。」なんて人に言っていた。

 そのときは親身になっていたつもりでも、自分のこととして捉えることが出来ていなかったと反省している。それでも、自分の考えに近いことを伝説の創業者であり、経営者である小倉氏が言っていたことを知り、非常に心強くなった。

力強く後押しをしてくれたような感じで、武者震いのような気持ちになり意志が固まった。しかも仲間が大勢いる。

認知症であっても、そうでなくても、生きて活(いく)力と地域の力と町の力が一つになって安心して暮らせるまちをつくるため、一大決心!!

日本を変えるぞぉ!


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認知症だと救急外来も受け付けてくれない! [感じたこと]

Cさんがちょっと体調を崩した。以前から「お風呂から出れなくなった!」「眠ってばかりいる!」と家族からSOSの電話を受けていたのだが、遂に熱発。そして食欲減退。

救急車を呼び、救急外来で診てもらおうと考えて〝119”へ℡。

救急隊が到着するまでCさんは真っ赤な顔とは裏腹に、心配させないようにと無言の笑顔で優しさと人柄が全開していた。

救急隊が到着してストレッチャーに移動し、受け入れ先の病院探し・・・30分。「遅い。ただただ遅い。救急じゃないのか?これは赤い灯が光る白いタクシーか?」と心の中で叫ぶ。心筋梗塞や脳卒中じゃないからか?

そんなことを考えていたら、救急隊から「認知症ありますか?」ときた。

「出たぁ!認知症ありますか」「冷やし中華じゃないぞ!!」<`ヘ´>怒

そして案の定、受け入れ先が見つからないとさ。何だ?認知症になったら病院にも受診できなくなるのか?こりゃ風邪もひけないし、怪我もできない。おっかなびっくりしながら毎日を過ごせということかい?

プッツン!!

そこで受け入れ先が見当たらず、町医者に診てもらう。「こりゃ肺炎かもしれない。うちじゃ診れないな。」だと。だぁかぁらぁ、言ったじゃない!

結局、翌朝に総合病院に受診すると即入院。でも「認知症があるから」といって[抑制×抑制×抑制=雁字搦め]の方式が出来上がり。

Nsに直訴するも「先生からの指示で治療に必要ですから。」必要???訳わからん。

「じゃあ先生と話したい。」と言うと「もう帰られました。」!!何だとぉ!!頭にきたので、院長への手紙として不満を全て書き残してくる。

そんな私の怒り顔を見て、本人は「しょうがないね。」と半分笑いながらポツリ。

 ・・・・・

後日、院長への手紙が効いたのか、抑制は無くなっていた。それでも、これじゃぁ安心して認知症になれない。社会的入院という言葉は聞いたことがあるが、このままだと認知症になったら社会に殺されるかもしれない、社会的殺人で。

あなたはどう思う?


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竹やりブンブン! [感じたこと]

ある日、近所の神社から竹を伐採して欲しいというボランティアの依頼が舞い込んできた。うれしいお誘いである。私の頭の中は「筍掘り」「流しソーメン」の絵が浮かんできて、早速、希望者を募ってみた。

4人ほど希望者が集まり、山の崖にある神社を目指して出発!

到着してみると、予想以上の崖。崖。崖。足場はない。それでも本人たちは俄然やる気に。そりゃそうだ。私の誘い文句が「筍の刺身を食べに行ったついでに、流しソーメン用の竹を切りに行きませんかぁ~?もちろん、刺身は行った人の特典で、醤油を持って現地で食べましょう!」だからだ。

そりゃ皆さん張り切る!踏ん張る!

結果、筍の刺身を食べ、お土産に筍を山ほど頂き、そして流しソーメン用の立派な竹も手に入れ、浮足立って帰路に着いた。そしてセンターに到着してから“竹やりブンブン”が始まった。

長い竹をセンター正面入口から入れようとしても入らず、裏口から入れようと男3人で運んでいたとき、Aさんは急に竹を竹やりに見立て前に立っていたBさんのお腹にズブ!

「痛っ!アイタタタ・・・」とうずくまるBさん。一瞬何が起きたか把握できなかったが、竹でお腹を押し込んだ事実は見えていたので、一先ずお互いを離してBさんの手当と共にAさんにも「どうしたのです?」と聞いてみる。

すると返ってきた言葉が「あいつは、何もやらないくせしてエラそうにしている。気に入らない。どこかに行っちゃえば良いんだよ!」と興奮気味。

Bさんは一生懸命頑張っていた。むしろAさんのほうが何もしていなかった・・・。何だ?この違和感。

この険悪な雰囲気に気付けなかった私のミスでもある。でも・・・何だ?何かが違う。

これはAさんにもっと深く話を聞いてみる必要がある、そう思い始めた。ここでAさんは“危険な人”レッテルを貼ってしまう人もいるが、それは違う。そのレッテルを貼ってしまうスタッフのほうが“危険な人”なのだ。

やはり話を聞いていくと「自分が思うように行動に移せない。すぐに忘れてしまう。自分は病気なんだけれど、認知症のあいつ等とは違うと思っている。もっと効率良くやりたかった。」と話される。

このAさんは認知症と告知されていない。恐らく自覚というか、認知症と感じている部分があるのだが、まだ受け入れる段階に達していない。そのもどかしさがイライラとなって、何でもできて明るいBさんに敵対心を向けるようになったのだ。

アナタならどう対応いしていくだろうか?AさんとBさん、どうする?

私が行ったのは、Aさんにとって一番信頼を置いて頂いている私が常に横にいて、それぞれの場面で「効率の良い方法を一緒に考えましょう!」とまずは協同を持ちかけた。

更には認知症の冊子や本を目に付くところに置き興味を引く。これは、私が家族とも話し合って、間接的だが告知をすることのメリットとデメリットを伝えた上で許可を頂いたもの。失敗した場合は責任を取る覚悟だったし、そんなことより“その後”を考えていた。

認知症と伝わることで、落ち込み、不安が強くなることも想定されたが、認知症を受け入れてもらい、その後の役割として当事者として意見を発信し、町田市を変えていくという方向に持っていきたかった。つまりは認知症を持ちながらも社会的な役割を担っていく、そんなリカバリーを期待して想像していた。

その行動がズバリ的中!

「認知症と知ったときは辛かったけど、自分にもできることがある。自分にしかできないことがある。町田市の将来を変えるため、色々と協力するよ!」と言って下さったのだ。

もちろん、自信が出るように、協同しながら歩み寄っていったのだが、私は目の前の本人に対しての支援は全力投球する。一切妥協はしない。何ならケア職生命を賭けている。

当たり前だ。今、自分が出来うる最善のことを提供することで、サービス利用料を頂いているのだし、それがプロだと思う。だからこその専門性、NS以上の専門性を持っていると自負もできるが、本人にとって一番か二番に本人のことを知っている人になれて初めてケア職の専門性を持っていると言えるのではないだろうか?

Aさん、色々と教えてくれてアリガトウ!!


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不安が半減? [感じたこと]

認知症の本人は告知されていなくとも“自覚”はあり、そして忘れてしまうことへの不安や衰え行く機能により、現状からの生き方に深く悩み、考えている。

そんな本人たちにとって、不安が半減する方法がある。「耳にタコが・・・」と言う人もいるかもしれないが、何度でも伝えようと思う。

それは、本人の話に耳を傾けることだ。「それは知ってるよ!」という声も聞こえてきそうだが、ひとつ例を挙げてみよう。

パニック発作で考えてみると、ある日アナタが急行の電車に乗車していた。すると動悸が激しくなって胸が苦しく冷や汗が出てきた。発狂寸前。駅に降りようと思うにも、急行のため最寄は通過してしまう。

車内アナウンス「次は○○駅です」と聞こえ、少しホッとするも着くまでの時間が長く感じる。ようやく着いたところで、駅員に助けを求めて救急車を呼んでもらい一段落。

医者の顔を見て、症状を伝えているときに気付く。「あれ?もう平気だ。いや、確かに苦しかった。嘘じゃない。」

その医者は「本当に症状はあったのかね?」と疑ってくる。

そこで、この症状に詳しい他の医者に受診してみると話を信じてくれて、「それは辛かったでしょう。」と決め台詞。そして「一緒にゆっくりと治療をしていきましょう」と更に話を聴いてくれるスタンス。

私たちは医者ではないが、話を聴くことはできる。それを活かして本人の不安や悩みに付き合ってみる。もちろん、ゆっくりとじっくりと。そして全てを受け止め、自分の中で「大丈夫」が言える確証を持ってから「大丈夫!」と伝える。

言うのも簡単。「知っている」と思うのも簡単。知ったかぶりは最悪。ただ、実行して経験することが難しい。でもその経験がアナタの“安心オーラ”となって、本人を包み込み、心から寄り添うことが出来るのではないだろうか?

是非、本人の話に耳を傾け、心を通じ合わせて欲しい。


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コミュニケーションの不思議 [感じたこと]

本人とその本人との付き合いが長いスタッフの会話を聞いていると、よくこれだけの言葉数で会話が成立しているなぁと感じることが少なくない。

主語、述語が無いことはもちろん、単語だけのやり取りなので、これをそのまま紙に書くと意味が通じないだろうな、と思ってしまう。

それでも会話は続く。

スタッフの気付く力を引き伸ばしていくためにも、「どうして本人の言っていることがわかるの?」という感じであえて聞いてみた。

すると返ってくる答えは大抵「何となくわかる」という一言。

私たちは認知症でも、そうでなくても、日常会話を毎回のように主語、述語から始めていない。例えば「(私は)(今日、台風一過で)暑いですね。」といった単語“暑い”だけで通じるものがある。それは共通する状況を踏まえた上で言っている場合や、環境を含めて通じるものだ。

良く聞く非言語コミュニケーションのボディランゲージ、これは言語コミュニケーションの言葉だけだと7%だが、口調(強い、穏やか、弱い等)や話のスピードなどの聴覚が38%、視覚から入ってくる前述の状況や環境、身体的な“身振り手振り”等が55%といった割合で伝わるらしい。

ともすると、90%弱が非言語コミュニケーションとして伝わっていることになる。これであれば、国境の壁も越えられると感じてしまう。

つまりは、認知症の人は非言語コミュニケーションと第6感を駆使して、相手のことを知ろうとする。言語10%+非言語コミュニケーション90%+第6感50%(仮)=150%の力があるわけだ(言語障害がある人は非言語コミュニケーションが100%になる)。

そして対する私たちは、言語10%+非言語コミュニケーション90%=100%で相手を知ろうとしている。

この数字だけ見ても、私たちより認知症の人のほうが相手を知る力があることがわかるし、実際に性格までも読まれていることがある。

もちろん、私たち専門職は100%+経験○○%を上積みして、本人を知ろうと努力しているが、本人には勝てないのだ。

本人はスゴイ。m(_ _)m


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根拠のない「大丈夫!」 [感じたこと]

よく本人が「私最近忘れっぽくて・・・。もう呆けちゃったのかしら・・・。ハァ。いよいよお迎えが来たかねぇ。。。」という不安が強く“居ても立っても居られない”状態で、マイナス思考の悲観的な気持ちを打ち明けてくれることがある。

そんなとき、よく耳にする言葉が「私も最近忘れっぽくて!(だから)大丈夫ですよ!」と明るく話す50代のスタッフ。

本人からしてみると「何が?」ということになるだろう。つまりは「アンタと私は30歳も年が離れているのよ!そんな気休めな薄っぺらい言葉なんて逆に見下されているわ!!」ということ。

そりゃそうだ。

本人は病名を告知されていなくとも自覚はある。“私も同じ”なんていう馬鹿げた非常識な冷たい言葉は、見るだけで健康的な輝いているスタッフから出てきてしまうのだ。

この“私も同じ”という言葉が、同年代の認知症の人が言うのであれば、ピアカウンセリング効果もあり有効になるだろう。ただ年も離れた明るく健康的なスタッフが言ってしまっては、崖から突き落としているようなものだ。

だからこそ、「何が大丈夫なのよ!」となってしまう。怒り・不安・憎しみに変わる言葉、それが根拠のない「大丈夫ですよ!」の一言だ。

伝わりやすくするために、例を挙げてみよう。実際に私が遭遇した根拠のない「大丈夫です!」とは・・・、

北海道へ出張のために飛行機に乗った。いよいよ滑走路に入り離陸という時に、機内アナウンス「当機はエンジン部分に異常が認められました。一旦、ドッグに戻り安全確認を行います。お急ぎのところ誠に申し訳ございません。」が流れる。

ドッグに戻ると、ドカドカっと10人以上の整備士が機内に入ってきて、何やら奥で作業をし始める。その作業が見えないようにCAが前に立ち塞がり殺し文句の「大丈夫ですよ!」と優しい笑顔を乗客に振り撒いている。

このときの「大丈夫ですよ!」は非常に不安になった。何が、どう、大丈夫なんだ?飛行機を変更したほうが良いのではないか?ちゃんと飛ぶのか?と。

30分くらいの時間が過ぎ、機内放送が流れる。「ご心配をお掛けしておりました故障ですが、計器が原因と判明致しました。修理が完了致しましたので、当機は再び滑走路に向けて走ります。お急ぎのところ大変申し訳ございませんでした。」とね。

私の心は「おいおい、本当に大丈夫なのか?まだ変更は可能だぞ。乗換なら今だぞ。」という不安一杯な状況。しかもCAは穏やかな笑顔。

これは私たちケアラーはよくある場面なのではないだろうか?「大丈夫ですよ!」と言って、不安を強くしないために穏やかな笑顔を振り撒く。

入浴の不安が強い人に「大丈夫ですよ!お風呂は気持ち良いですよ。」→本人「そんなことはわかってる!馬鹿にするな!」

トイレに間に合わなかった人に「大丈夫ですよ!新しいズボンに着替えちゃいましょう。」→本人「何が大丈夫?私は恥ずかしいし、落ち込んでいるのよ。アンタなんかに・・・!!」

だから、何が大丈夫?なんだ?

根拠のある大丈夫とは、以前にも書いたが“絶対的な信頼感と圧倒的な安心感”と“居るだけで、声が聞こえるだけで、視界に入るだけでホッとする人”が「どうしました?」と聞くことが、それに該当するのではないだろうか。そこで、自分の中で本人の気持ちを受け止めてから、大丈夫と判断した上での「大丈夫!」ではないだろうか。

想像して欲しい。根拠のない「大丈夫!」と根拠のある「大丈夫!」の違いを。

そして、本人が「私最近忘れっぽくて・・・。もう呆けちゃったのかしら・・・。ハァ。いよいよお迎えが来たかねぇ。。。」という不安が強く“居ても立っても居られない”状態で、マイナス思考の悲観的な気持ちを打ち明けてきたときに、アナタはどう受け答えるのだろうか。


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本人は見ている [感じたこと]

認知症の人は第6感を持っているということは、既にお伝えした通りだが、これに当てはまるなぁと最近思い出した人がいる。

朝、デイサービスで迎えに行くと家族は誰もいない。廊下を進んで行くとドアの外側に鍵がされている自室がある。つまりは閉じ込められているのだ(もちろん、家族には説明したりケアマネや市の担当者にも伝えていた)。

その鍵を外してドアを開けると、全身便が付いていて、口の周りにも便・・・のご本人が待っている。当時は冬だったのでホットカーペットが敷かれており、その上にも便。強烈な臭いは言うまでもない。

そして私の顔を見るなり第一声が「甘いもの頂戴!」と寄ってくるので、送迎車までの誘導はスムーズ。

そしてセンターに到着するなり、全身の清拭と着替え。「ギャー!」「ばか!」という怒鳴り声と共に。

そのあと“甘いもの探し”を一緒にするのだが、急に頭を叩かれ、腕を抓られ、「早く!」と急かされる。その内に、歩いていても後ろにのけ反るような姿勢となり、後ろから支えないと歩行が難しくなる。そして支えている最中も「ばか!」と怒っている。

しばらくお付き合いしていると、叩かれたり抓られたりする前兆が把握できるようになった。そんなある日、その前兆を感じて避けてみた。すると「ニヤリ」と不敵な笑みを浮かべている。強いて言うなら「よく避けられたな・・・。この次は避けさせないよ!」という感じ。

私は心の中で「全部避けてやるぞ」と思い、ここに格闘家の師弟関係ができた。

ここからは師匠と弟子のようになり、やたらと私の近くに来ては“叩く・抓る”攻撃をされるのだが、徐々に避けれる回数が多くなっていった。

私も避けるのが楽しくて、わざと師匠の近くに行ったこともある。そして避ける回数が多くなると「ニヤリ」から「アハハハ!」と笑い声と変化していった。

すると今まで「甘いもの頂戴」「ばか!」の言葉しか話されなかった師匠が、「お前、なかなかやるな」と話された。

なかなか家族とも連絡が取れずに、師匠に関わる情報が乏しかったのだが、この頃“イタズラ好き”という情報が入ってきた。

それからも送迎車の助手席からギアを突然ガシャンと変える“イタズラ”があったが、私も“イタズラ”好きなので、どうも気が合う2人になって楽しんでいた。

そうなると師匠は私の側では大笑い、という光景はよくある光景に変わっていき、“叩く・抓る”は少なくなっていった。

ただ自宅環境が良いとは言えない状況だったので、迎えに行くたびに表情は険しく便×便。それでも「甘いもの頂戴」と笑顔になる。

恐らく師匠は寂しさをイタズラで表現していたのかもしれない。そのイタズラで更に寂しさが増していくことが多かったが、久しぶりに付き合ってくれる人がいた。しかも一緒にいて楽しい、安心できると感じ、表現方法だったイタズラが減っていったのだろう。

それは「お前なかなかやるな」という言葉にも表れているが、それよりも第6感で何かを感じ取っていたのかもしれない。

その師匠は、最後に自分へイタズラをして旅立たれてた。師匠らしいと言えばそうだが、何か寂しさを感じ取らずにはいられない。


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猫も杓子も“塗り絵”&“折り紙” [感じたこと]

「どこのデイサービスでも“塗り絵”をやっているけれど、何で?」

というような質問があった。その一つの原因としては、「月刊○○サービス」という本が刊行されていて、その本はどこのスタッフにとってみても神様みたいな存在になっている。

本自体は悪くないのだが、その本を頼りすぎて(考えなくても本に載っているレクを使用)、安易に塗り絵サービスを提供してしまう。

そもそも、塗り絵なんていうのは、デイじゃなくとも自宅でも出来るものだ。何のためにそれを塗るのか、何のためにデイに来ているのか、本人にとってどうなのか、そこの大きな目的が抜け落ちたまま“やらされている”。それななのに利用料金だけはしっかりと徴収する。

お金を支払うということは、利用者はお客であり、またそのお客は専門職がいるデイに何かを求め、何かの効果を期待しているはず。

それも考えられないようなデイは悪徳商売。インチキ商売。はっきり言って詐欺。

そんなところに国が公的なお金を注ぎ込み、また生活機能を低下させている事業所を認められるくらいの財源にゆとりがあるのならば、東北地方の被災地に新規デイサービスやショートステイといった在宅サービス事業所を設立したほうが良い。

もしくは、そういった事業所をさっさと潰して、そこに掛かっていた費用で被災地に新規事業所を立ち上げたほうがよっぽど良いだろう。

もう少しまともに考えられれば良いのだけれども、麻痺している人が多いのも事実であり、そこで働くスタッフは一生懸命なのだ。だから尚更悪い。 

次回こそ「デイの内容」について・・・


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心の師 [感じたこと]

誰にでも「この人は・・・(心の中から尊敬する人)」という人がいると思う。こんな私でも本当に心から尊敬する人がいる。それは若年認知症(レビー小体型認知症)の方で、私が初めてお会いしたときは少し前傾姿勢ながらも歩くことができていた。

そして、その人は教育者でもあり、ずっと子育て論を私と繰り広げて下さった。中でも印象深いのは「子どもというのは叱っちゃいけない。子どもは悪くないのだから。そして親も悪くない。誰も悪くはなくて、成長している過程であって、だからこそ子どもの話をまずは聴くことが大切なんだよ。」というフレーズ。

こんな先生だからこそ、生徒からも慕われていて、認知症を発症してからも変わらずに自宅へ遊びに来たりする。そこには人対人の関係が既にある。

そして月日は流れて、座位もままならなくなってきた。リクライニングタイプの車いすになっても目が合うと「おぉ!」とパッチリ目が大きく開き挨拶された。私も「○○さん!お早うございます!」と近付いて肩を揉んだり、腿を軽く叩いたりしてボディータッチをしながら挨拶をした。

大きな声で笑い、また広い心で新しいスタッフのドジも受け入れてくれた。同じデイに通われている人からも人望が厚い。

そんな中、日帰り旅行企画が持ち上がった。場所は湯河原温泉。どうしても片道3時間は掛かる長距離移動で、過ごす時間の大半は車中となってしまう。

訪看からはデイ利用日であっても「3時間毎、横にして下さい。腰が固くなり痛みが生じますから。」と言われていた。スタッフの中にも不安視している者もいた。法人上層部は反対している者がほとんどだった。それでも・・・本人に聴いたら大きく頷かれ意思表示をされた。だから・・・

参加して頂いた。横になるスペースなんて無いし、殆どが車中だからスタッフにはずっと話しかけてもらい(私は兼運転手で、助手席には若年認知症の方が座っていた)、休む場面は休んで頂き、時折車の窓を開けて海風を感じて頂き、大好きな回転寿司を召し上がって頂き、温泉にも入って頂いた。

温泉は足湯だったが、車いす乗車のままだと足が湯船に届かず、バケツを借りて即席温泉に浸かって頂く等、それこそ現場の力で乗り切って帰路に就いた。

もちろん表情は晴れ渡り、笑顔も溢れ、少し疲れた様子ではあったが「旅の疲れ」として受け止め、家族も喜ばれていた。

反対する人たちを押し切っての旅行で、充実感と楽しい思い出を胸に無事に帰宅。でもこれは私やスタッフの自己満足かもしれない。ある反対をしていた人に「無理矢理、リスクを冒してまで行って何の意味があったの?」と言われ続けてきたから。

それでも自分の判断に、そして本人のあの表情に間違いはなかった!と思っている。それは家族からも「あの日は帰ってからずっとニコニコしていて“楽しかった”という言葉も出たのですよ!私嬉しくて。」と感想もあった。

ただ私の中で“確証”はなく、本人にとってどうだったのだろうか、腰は痛くなかっただろうか、等々、言われたからではなく振り返りとして常に頭の中にその考えがあった。

程なくして特養へ入所となり、胃ろう造設、入院、お亡くなりになった。

2年振りにお会いした家族から「湯河原温泉」の話が出た。「本当に主人が喜んでいて、言葉もよく出るようになったのよ。立場的には辛かったでしょう?」と言われたとき、今まで引っ掛かっていたモノが取れた感じと一緒に涙が溢れた。

それから、私は私と本人の信念の基に、また家族の了解を頂いた時点で、揺るぎない信条となってケアに自信が持てるようになった。

その人の生きる姿、人柄、考え方・・・挙げるとキリがないが、今でも、これからも私の心の師である。


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「あんた嫌!あっち行って!バカッ!」 [感じたこと]

とある朝、デイサービスの送迎車が到着し私が「お早うございます!」といつものように挨拶していると、一番最後に降車してきたある女性が私に向かって「あんた嫌!あっち行って!バカッ!」と怒っている。

いつもは私の顔をみるなり「ウフフ♪」と意味ありげな笑顔で近付いてきて腕を組まれたり、はたまた股間を触られたりするので、正直一歩引いてしまうのだが、この日は違った。

大方の予想通りトイレだったのだ。察しの良い女性スタッフが声を掛けると手をつないで行ってしまった。

トイレから出ててきたので、改めて私が声を掛けると「行く!」と言われて離れて行ってしまった。??? と気になったので更に声を掛けてみる。すると「このバカ!」と怒っている・・・。

そこで、送迎の添乗スタッフに朝の様子を聞いてみた。すると幾つか納得する話が出てきた。

①娘さんと取っ組み合いの大喧嘩をして、両者とも興奮していた。

②送迎車両移動中に“貧乏揺すり”をずっとしていた男性利用者さんがいて、車が揺れていた。

③トイレのようなことを言っていた(我慢していた様子)。

④私が朝の挨拶中に他の女性利用者さんと“イチャついて”いた(ように見えたらしい)。

という内容が挙げられ、「なるほど!」と思ったのだ。①~③は本人にとって嫌なことがずっと継続している状態だからイライラしていた訳だ。そこに愛しの私が他の女性と“イチャイチャ”していて大爆発!!

怒るには訳がある。怒った場面だけを見ただけで捉えるのではなく、流れ(物語)から原因を読み取り、それがわかれば「そりゃ私だって怒るなぁ。」というものになるだろう。

本人が上手く相手に自分の想いを伝えられないとき、それが続くと心のバランスが崩れてしまうので、防衛反応として“怒り”という媒体を使って相手に想いを伝えていく。

人間は奥深い。


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