“食べる”機能低下デイサービス [感じたこと]

食べること、それは私たち人間にとって楽しみなことの一つである。誰だって美味しいもの、好きなもの、お腹イッパイ食べたい。

それが認知症になってデイサービスを利用するようになると、食べられなくなる可能性がある。出されるものは“柔らかく”“飲み込みやすく”“味が薄い”The 病人食なのだ。病気ではないのにもかかわらず・・・。

例えば、多くのデイサービスで禁止されているものを挙げてみると⇒大福(喉に詰まる)、煎餅(固い)、ステーキ(噛みにくい)、鰯(小骨が多い)等々。

逆に多くのデイサービスで出されているものを挙げてみると⇒羊羹(飲み込みやすい)、饅頭(柔らかい)、薄切り肉(噛みやすい)、事前に骨を抜いた魚(骨なし)等々。

本人によく聴いてみると、自宅に帰られてから「大福を1個食べてお茶を飲むのよ」とか、「肉汁がたっぷりのステーキは最高!」とか、「鰯を頭から食べる」とかの意見がよく聞かれる。

決めつけてはいないだろうか?

高齢者だから・・・、認知症だから魚の骨を見分けられない・・・、そんなことある訳がない!

人それぞれ嗜好があり、98歳のお婆ちゃんでも「魚よりステーキが食べたい」と当たり前に言われる。ハッとした人、えっ!?と思った人、それは本人に聴いていないだけだろう。

認知症でも無意識に魚の骨を見分けて食べる。いやいや、そこはもう認知症とか高齢者とかは関係ない

それなのにも関わらず、大抵のデイでは「危ないから・・・」の決め台詞で上記のものを禁止してきた。安全なものを提供することで、食事機能を低下させているとも気付かずに・・・。するとデイを利用すればするほど、食事機能は落ちていることにならないだろうか。

本人は自宅で好きなものを食べている。問題なく食べることが出来ている。

デイサービスの“食”に関する場面でも「食事機能を低下させられるために、利用料金を支払っている」ことが起きているのだ。

何度も何度も言うようだが、デイサービスとは心身機能の維持・回復を以て在宅生活を可能な限り続けられるよう支援するもの。

だから、本来であれば利用料金を戴くどころか、「食事機能を低下させてゴメンナサイ」と慰謝料を支払わなければいけないのではないか?

ただし、美味しいものや好きなものを希望されていても、リスクを見極めなければならない。それは自宅での様子を把握し、体調も含めて考え判断する。ある場面では「覚悟」もしなければならないだろう。でも、それが専門職なのではないだろうか?

リスクは生活に付いてくるものと捉える。ある日、利用者のお婆ちゃんが「刺激の無い生活なんて死んだのも同じ。そんなに安全が欲しけりゃ寝てれば良いのよ。でもそれじゃ、死んだほうがマシね~!アンタもそう思うでしょ?」と言っていた。

あなたはどう思う?


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デイサービスの虐待 [感じたこと]

以前より色々なことで一緒に活動している若年認知症の64歳Kさんがいる。Kさんは「働きたいんや!」「自分がまだ社会の役に立てるんであれば、どんなこともやりましょ!」と日頃から言っている。

その想いが実現できる場所では、非常に生き生きとされ表情も明るい。そして「ここは楽しい場所やで」自然と言葉も出るし、口笛で懐メロを吹きながら仕事をされる。スタッフから「口笛チャンピオンだね」と褒められると、照れて顔も赤くなるチャーミングな一面も見える。

現在Kさんは要介護5。

上手く言葉にできなかったり、前後左右に体が傾くこともあったり、視野が狭く頭をぶつけたり、歩行も前傾姿勢で止まらなかったり、もちろん食事やトイレは支援が必要。

このような状態を自覚されているからこそ、ストレスは溜まる一方だと思う。自分なら星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返しているだろう。そんなストレスフルの中でも、Kさんは思いやりの心を持ち続けている。聞くところによると、昔から家族思いの優しい“お父さん”だったという。それは「今も変わらない」と長女は言う。

そんな優しいKさんは、現在3箇所のデイサービスに通っている。Aデイサービス事業所、Bデイサービス事業所、Cデイサービス事業所とここでは区別してみる。

まずAデイサービスとBデイサービス。

ここは高齢者中心の場所であり、流れや過ごし方も“高齢者流”であって、いわゆるTHE・デイサービスなのだ。ここではKさんの「働きたいんや!」「自分がまだ社会の役に立てるんであれば、どんなこともやりましょ!」という想いからは遠くかけ離れているのが現状。

そして体は傾きつつあるが、まだまだ歩けるKさん。ただ前傾姿勢で歩くと止まらなくなり「危ないから」という鎖の一言で、ずっとイスに座り続けさせられる。しかも視野が狭いことと優しさを利用して、壁に向かって一人座らせられ、すぐに歩き出せないようソファーで囲っているのだ。横にはチョンと気休め程度にラジカセが置かれ、懐メロが流れてくる。Kさんは懐メロが流れてくると口笛を吹き始め、座り続けてはくれる・・・。

Kさんは何も言わないが、きっと辛い時間なんだろう。だってこれは歴とした虐待だし、スタッフはKさんが“落ち着いてきた”から「これは音楽療法ね」なんて言っている。虐待を自己流の音楽療法というもので包み隠して言い訳にしている。

言うなれば、KさんはAデイサービスとBデイサービスに通い、虐待を受けて心身機能を低下させられるために、利用料金を支払っている。

何度も言うようだが、デイサービスとは心身機能の維持・回復を以て在宅生活を可能な限り続けられるよう支援するもの。

だから、本来であればAデイサービスとBデイサービスは利用料金を戴くどころか、「心身の機能を落としてゴメンナサイ」とKさんに慰謝料を支払わなければいけないのではないか?

ちなみにCデイサービスはKさんの「働きたいんや!」「自分がまだ社会の役に立てるんであれば、どんなこともやりましょ!」という想いを実現し、一日活動的に過ごしている。しかもボランティア就労ということもあり、ボランティアの依頼先より謝礼を戴いているそうだ。

Cデイサービスは社会参加と社会的役割に重きを置き、また地域との相互交流を図り、本人の声を大切にしながら活動している。特に意識せずとも、活動自体がリハビリの役割も果たし、気付かないうちに心身機能の維持・回復につながっている。更にはストレスまで発散している。

こんなCデイサービスが増えると良いのだが、現実はAデイサービスとBデイサービスばかり。これでは団塊の世代は安心して認知症になれないだろう。だって認知症になると介護保険という公的なお金を使って公然と虐待があるのだから。しかもそれが、正しい行為と思われているからタチが悪い。

ここは大きな期待と希望を込めて、Cデイサービスの在り方が普及するためにも、それが“一般的”になるためにも、強く大きく応援したい。


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若年認知症の年齢による壁 [感じたこと]

若年認知症、いわゆる18歳~64歳までに発症すると総称してこう呼ばれる。単に認知症と言っても色々と種類が分かれている。

アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症、脳血管性認知症、頭部外傷後遺症、大脳皮質基底核変性症、クロイツフェルト・ヤコブ病、エイズ脳症など全部で72~74種類あると言われている。

その中でも私の知っている若年認知症の方で24歳女性がいる。

つい先日、第一子が生まれて喜んでいたが、どうも気分が優れない。産後の「うつ」が思い当たりメンタルクリニックへ受診される。

やっぱり「うつ」と診断。

服薬をしても一向に良くならず、子どもにミルクをあげようと思い準備していると何か変。子どもは泣いていない。「ひょっとしたらミルクはあげたのかも・・・?」そう思うと不安が一気に増大。

この方は映画「私の頭の中の消しゴム」を観ていた。だから気付いたんだそう。そして総合病院の診断結果はアルツハイマー型認知症の疑い。

これからのこと、子育て、新妻として、母親として、両親のこと、目の前が真っ暗になった。

この女性は24歳という若さなので、介護保険サービスが使えない。障害者自立支援法のサービスは利用できるが、果たして・・・。

また64歳の男性もいる。

この方は10年前にアルツハイマー型認知症と診断され、会社の上司に理解が得られず、毎日のように「こんな仕事もできないのか!」と怒られていくうちに不安と恐怖で退職せざるを得なかった。

退職後は自宅に閉じこもり、自信とプライドを失い、生きる希望まで見出せなくなっていった。

しかし現在は、とある介護保険デイサービスを利用しながら就労ボランティアをして、ボランティアの依頼先から謝礼を受け取っている。それが生きがいにもなり、輝いている。「これでビール飲むのが最高なんです!」と言っている。

ただここでも年齢の壁がある。

65歳になると介護保険デイサービスで就労ボランティア活動しても、謝礼を受け取れないのだ。この謝礼が受け取れる仕組みは64歳まで。

近々誕生日を迎えるのだが、誕生日を迎えた瞬間に謝礼で購入していたビールも飲めなくなってしまう。すると生きがいはどうか・・・?

いつでも誰でも認知症になる可能性があるならば、認知症でも安心して暮らせる町づくりが必須ではないだろうか?

認知症でも安心して暮らせる町は地域によって変わってくる。その地域特性を生かした形で取り組めば、個性豊かな地域が増えていくだろう。

認知症の人は自分に合った地域を(地元と言われる人が多いかもしれないが)選び、安心して暮らしていけることができるのだ。

地域が人を選ぶのではなく、認知症の人が地域を選べるようにすると、過疎化している地域にも人が押し寄せるなんてこともあるかもしれない。

そうなると、認知症でも安心して暮らせる町から認知症でも安心して暮らせる日本へ!なるだろう。

誰でも認知症になる可能性がある。このブログを見ているアナタも例外ではない。もちろん私もだ。つい先日、若年認知症に関する新聞記事が載っているのを見つけた。

http://mytown.asahi.com/tottori/news.php?k_id=32000001109050004&ref=chiezou


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本人から宝の言葉 [本人意見]

佐藤雅彦さんと一緒に函館観光をしてきた。もちろん私はサポーターとして同行していたのだが、途中どちらがサポーターだかわからない程、助けてくれた。

~第一日目~

▼浜松町駅で待ち合わせ

そこから羽田空港まで一緒に行くことにしたのだが、私は万が一を考えて9:00を集合時間として設定した。飛行機の時間は10:30発。

すると朝一番に携帯電話が鳴り、佐藤さんから電話。「駅探で調べたら浜松町から空港まで22分で行けるよ。待ち合わせ時間が少し早いんじゃない?」とのご指摘。確かに私も少し早く感じてはいたが、万が一も考えられたので「空港でコーヒー飲みましょう」と提案する。

▼函館空港に到着し、その足で『南北海道認知症フォーラム』へ出席

最後締めの挨拶していた北海道グループホーム協会副会長の中村さんから急に佐藤さんへ「一言」と振られる。

すると佐藤さんは「認知症だと何も出来ないと思われていますが、認知症でも出来ることが沢山あります。私は研修の内容をテープレコーダーに録音して、自宅のパソコンを使用して逐語録をつくります。あと携帯電話で写真を撮って、友人に写メールも送れます。私はエンジニアをしていたこともあり、その辺はまだできます。だから認知症でもまだまだ出来るということを知ってもらいたいです。」と応えた。

▼居酒屋で打ち上げ

私が1杯目の生ビールを飲み終えて、ウーロンハイを注文したとき「前田さん、お酒は1杯までと医者から言われているでしょ。」と注意を受ける。

1ヶ月?2カ月?くらい前、佐藤さんと東京センターの永田さんと飲みに行く機会があった。そのときに私が「目まいが原因で、医者からアルコールは1杯までと言われていて・・・」と話した。それを佐藤さんが憶えていたのだ。

また、こんな話も憶えていた。「前田さん、駅のホームは真ん中を歩くようにとも言われているでしょ。

・・・確かに言った。

▼ホテル

佐藤さんと一緒に温泉露天風呂に入ろうということになり、10:00にお風呂の前で待ち合わせ。ピッタリの時間に佐藤さん現れる。

下駄箱にサンダルを入れ、脱衣籠に衣服を入れてお風呂に向かう。温泉が気持ち良く、私が長湯していると「前田さん、ビールも飲んでいるし、のぼせちゃうよ。そろそろ出るよ。」お風呂から出ると、自分の籠の位置や下駄箱の位置をしっかりと把握されている。

私は「佐藤さんの出来ること、まだまだイッパイありますね」と言うと、佐藤さんは笑いながら「一人暮らしをしているから、色々と気を付けながらじゃないと生活できないからね。だから常に意識していないと忘れちゃう。疲れるけれど意識し続けることが大切。あと集中できる時間は1時間だね。

一人暮らしをしていても、外に出て色々な人と話さないとダメ。

朝もお風呂に入りたい私は「佐藤さん、明日の朝はお風呂に入りますか?もし入るなら、一緒に入りましょう。その時は電話してください。」と伝え、それぞれの部屋へ。

~第二日目~

早朝、携帯電話が鳴っている。「前田さん、お風呂に行きましょう。お風呂の前で待ってます。」と佐藤さん。

▼中村さんと合流して函館観光

ホテルを出発して立待岬、

DSC_0094.JPG函館山から市内を[カメラ]

DSC_0095.JPG五稜郭タワーから[カメラ]

DSC_0096.JPG大沼公園[カメラ](千の風になってモニュメント)

移動の車中でも「認知症だと失敗することが多い。それを追求されると立ち直れないことがある。失敗しても良いんだという社会になって欲しい。

なかなか言葉が出てこない人もいるけれど、それは家族なりケア職が言葉を“出てくるまで待つ”ことをしないから。始めは話そう、伝えようと思っていたけれど、待ちきれなくなって代弁しちゃう。そうすると話さなくてもよくなっちゃうから、気付くと本当に話せなくなっている。もっと待つことの重要性を知って欲しい。

その他にも・・・本当に色々と話されていた。

そしてサポーターだったはずの私も支えられていると感じ、支え合うことの重要性とお互い様の精神を改めて認識した。そこには認知症は関係ない。人として支え合いながら、社会生活を送ることが至って“普通の幸せ”なのではないだろうか。

今回の佐藤さんから出てきた言葉(太字部分)の数々。皆さんはこれをどう受け止め、どう感じ、学び活かしていけるか。

佐藤さん↓『朝日新聞より』

 

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流しそうめん [活動報告]

先日、「つながりの開」主催による“本人・家族交流会”が開催された。参加者は、認知症の本人15名、家族13名、サポーター12名の合計40名。

今回は流しそうめんを企画した。企画といっても準備段階から本人にも参加してもらい、一緒につくり上げてみた。

この流しそうめん、準備が非常に手間がかかる。数日前より【竹取り】⇒【竹割り】⇒【節抜き】⇒【滑らかに磨き上げ】⇒【台づくり】と取り組む。

都合の付かなかった私は残念ながら準備に参加できなかったが、途中電話を入れてみた。本人と代わってもらうと「今、竹を切ってます!ハイ!元気ですよ!!宜しくお願いします!!それじゃ失礼致します<(_ _)>!!!」と会話が終わってしまったが。

それにしても、明るく生き生きとした声が聴けると何だか嬉しい。まるでその場面にいるかのように。

・・・何だかんだで流しそうめん台の完成。あとは当日を迎えるのみ。

そして当日。まずは水を流してみると、「水が漏れている!」慌ててテープで補修し、事なきを得る。いよいよ本日の主役たちをながしてみると・・・流れた!

流しそうめん1.JPG

そこでイタズラ心の登場。ミニトマトを追加!(流れるトマトは箸だと掴みにくい)「アラアラアラ・・・。」という間に流れて、皆が掴めないことに笑いが起こるだろうと予想。この作戦を“闇そうめん流し”と命名してみた^m^

いざミニトマト発射!

一番目の人・・・サクッと掴んでしまった!!

あれ?そんな筈は。。。

2個目のミニトマト発車!

一番目の人・・・まだ食べている!

2番目の人・・・ツルっ!「アラアラアラ…」(予想通り!)^m^

3番目の人・・・ツルっ!!「トマトは難しいでしょ!ヽ(`Д´)ノ」←byサポーター

とにかく笑いが取れたことに満足?して次なるミッションへ。本人Fさんを酔わしてカラオケで『スーだら節』を歌ってもらおう!と考えた。

・・・Fさん酔った。

そして、ほろ酔い加減で『スーだら節』を熱唱。会場は本物の『スーだら節』を聴いたように盛り上がった。 

カラオケが終わっても、Fさん「~ときたもんだぁ!とこりゃ♪」と止められない。陽気で明るく楽しそう。普段はイライラしていると聞いていたから、ストレスを発散できたかな。

流しそうめん2.JPG

大笑いのうちに交流会の終了。次回は10月。

この10月には交流会のほかに日帰り温泉旅行も企画している。現在参加者とサポーターを募集中。

ツアーP1.JPGツアーP2.JPG


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先日のRUN伴TOMO-RROWテレビ放送 [お知らせ]

先月の認知症当事者と走る「函館~札幌300㎞マラソン」RUN伴TOMO-RROWが、下記アドレスにて動画公開している。

http://uhb.jp/program/official/ishiichan/bn464.html#b_top

私もサポーターとして参加したのだが、皆の力でタスキをつないぎゴールした。“認知症の人は何も出来ない”“何もわからない人”というイメージから“認知症でも色々と出来ることがある”“色々とわかっている”というイメージに変わることを、知識として持ってもらえることを望む。

また、同じ趣旨で北海道の北竜町にて「ひまわりマラソン」が開催された。この大会にも若年認知症当事とサポーターが参加した。

両大会ともそうだが、認知症当事者の方は当日に向けて練習したり、服や靴を準備したりと大きな目的に向かって、日々の生活に張りが出てきた。

何の目的も楽しみもない、ただ時間を過ごすだけの日常。想像して欲しい。目的や楽しみがあり、それに向かって準備する日常を。否応なしにも生活に張りが出てくるものだ。

それは今回に限ったことではなく、デイサービスの日常や特養の日常にも同じことが言える。もちろん自宅での日常も。

私の個人的な意見だが、24時間テレビの芸能人が走るマラソン。今回は徳光さんが頑張ってゴールし感動を覚えたが、この部分を認知症の当事者と一緒にタスキをつないでいくマラソンに変わると、大きなインパクトがあると思う。

もちろん、芸能人の方々も頑張っているのだが、番組のコンセプトからもそっちのほうが合っているだろうし、もの凄く大きな力となるだろう。あくまでも素人的な考えだが。


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どこが認知症ケアの現場リーダー?主任? [感じたこと]

最近の介護保険制度にもよるのかもしれないが、明らかに“わかっていない”認知症ケア職の現場リーダー的な人が多い。

ここ最近で一番愕然としたのは、「僕が現場に入ることは有難いと思って」の一言。

思わず何様なんじゃぁ!と声に出してしまった。そしてその後、開いた口が閉まらない状態に。

確かに介護保険制度では、作らなくてはならない記録やら書類やらがある。またリーダー職ともなるとシフトも考えなくてはならないし、家族やケアマネとの連絡調整や担当者会議への出席、イベントの企画や準備など、挙げればキリがないくらいケア以外の雑務や事務仕事が待ち受けている。

にしてもだ。

主任だろうがリーダーだろうが、ケア職本来の業務はケアであるはず。書類は後回し。これが基本のスタンスではないだろうか。

(私の場合は、書類を後回しにし過ぎて監査や情報公開のときに大変な思いをしたが。)

とは言え、書類も大切なので作成していかなければならない。ただし全部を残業に回せとは言っていない。通常業務中にも隙を見計らって出来るはず。始めから無理だと決めつけているから出来ないだけなのだ。

始めから大変だと思わずに、認知症当事者の方との雑談の中で、自然と色々と聞きだすようにしてみる。意味のない雑談はいらない。その中で、生活が見えてくることもあれば、ケアのヒントを気付く、頂けることもあるだろう。それを書類に落としていけば良いのだ。

その書類に落とす時間だが、“手”の空く時間があるはず。5分でも10分でも。それを有効活用すれば良いだけのこと。

そして幾ら主任やリーダーだからといって、決して一人では現場は回らないし、頼れる仲間が周りには大勢いる。

良くも悪くも上司もいるだろう。相談相手もいるではないか。一人で仕事を抱え込まず、チームとして考えれば出来ないことも少なくなるはず。

だから「僕が現場に入ることは有難いと思って」とは言わないほうが良い。それを聞いたスタッフたちのモチベーションは下がる一方。

チームのモチベーションが下がるとケアの質も下がる。

主任やリーダーはチームのモチベーションを保ちつつ、働きやすい現場環境を考え、尚且つチームとしての方針やコンセプトを明確に打ち出して、スタッフの体調管理を含めた気遣い、そしてスタッフへの教育も仕事の一環だ。

やることも多いだろうが、それが“主任”や“リーダー”といったものであるし、責任者として手当も出ているだろう。

認知症ケアを語る前に、人間性を修正して欲しい。


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抑制デイサービス [感じたこと]

「今日は暑いので、皆さん室内で過ごしましょう!」と張り切って伝えるデイサービスの職員を見かけたことがある。

この一言が出た瞬間、『1日室内に閉じ込め作戦』がスタートする。それはデイルームという閉鎖的な空間に閉じ込めることで、ある意味、抑制だ。

スタッフは作戦内容として“どのように時間を潰す”かで頭がイッパイ。出入り口近付に行こうものなら「あちらでお茶でも飲みませんか?」と絶対に外へ出さないようにする。

何度も続くとスタッフはピリピリし始めて、その人を見張り始める。

また過ごし方としても、趣味嗜好や個性など一切考慮せずに全員で塗り絵。しかもスタッフは本人たちの周りをコツコツと試験監督のように歩き回る。やりたくない人がいたら「塗りましょう!楽しいですよ!」と見当違いの声掛け。

そしてついに、「なんだって俺が、こんな、こんな、違うんだよ!このやロー!!」と一人の男性が立ち上がると、その人は“暴言”“拒否”という言葉の首輪を付けられてしまう。

他にも全員で体操やら歌やら・・・。とにかく全員参加が基本になっていて、規律正しい。ここでも「○○しないと帰れませんよ~」とか、「○○しないと食事が出ませんよ~」とか。イントネーションは優しいが、内容は刑務所と同じ。

本人中心ではなく、スタッフ中心の抑制デイサービス。まさに刑務所。

私なら行きたくない。もし私が認知症で「行きたくない!」と声に出せずに体で表現したら、この抑制デイサービスからは“暴力”“拒否”という首輪を付けられてしまうのだろうか。

完全な人格否定と精神的苦痛で傷害訴訟を起こすと思う。

また戻るが、「今日は暑いので、皆さん室内で過ごしましょう!」の内容に皆さんは引っ掛からなかっただろうか?

何故、暑い日は外出できないのか?高齢者だから?認知症だから?

専門職であれば逆の考えが浮かんでくるはず。

朝から利用者回収車の送迎車両が自宅前まで迎えに来て、車内はクーラーで快適。数十分も揺られて到着した先のデイサービスもクーラーで快適。一日室内にいれば「新年明けましておめでとうございます。」という季節になるのも当然。

日めくりカレンダーをスタッフが指差しても、数分後に「新年明けましておめでとうございます。」になるだろう。

この暑い日差しの中、外出することに意味がある。

それは否応なく感じる暑さ、蝉の声、木々の深い緑色・・・、体全体で、それだけで“夏”と感じることができるだろう。私はそれを“ピント調整”と言っている。

水分不足や体力面を考慮するのは当たり前。どこまでなら行けるか、どんな目的を持ってもらうと行こうとする気持ちになるかを考えることが、専門職の仕事ではないだろうか。

そう言うと、往復車両移動で、行先は美術館となりがち。それだとピント調整はできない。

外出することで社会とのつながりを維持できる。

デイサービスは決して社会から切り離された陸の孤島ではないのだから。


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地引網大会ハプニング [活動報告]

8/7(日)辻堂海岸にて地引網大会が開催された。町田からは認知症の本人と家族、そしてサポーターがマイクロバスで乗り込んだ。

台風の影響か、波が高い。ひょっとすると・・・、

中止。やっぱり。。。

でも、海という開放感いっぱいの環境に皆さん、走り出す人もいれば魚を手掴みで捕ろうとチャレンジする人、早速日陰へ逃げ込む人、本当に思い思いの行動で楽しまれた。

すると波打ち際で遊んでいたMさんが波に飲まれた!「大変!!」とDFC町田支部の人が助けに入る。そこへ追い打ちを掛けるように大きな第二波。

まさに二次災害のように、助けに入った人も波に飲まれる。

気付くと二人とも頭から波を被りビショビショ。Mさんは奥さんに睨まれるも楽しそう。DFC町田支部の人は、事務所専用携帯電話がグッショリ。

そんなサプライズ的なことがあったが、いよいよBBQ!

皆さん、良く食べ良く飲み良く笑う。

認知症の本人も家族もサポーターもごちゃ混ぜで、もう誰が誰だかわからないくらい、とにかく盛り上がって、楽しい時間になった。

そして皆さんの意見からは「また来年もやりたい!」といった声が多く聞かれた。本人も家族もサポーターも、日焼けとビールで真っ赤かになった笑顔をお土産に・・・。


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認知症の本人とマラソン(函館~札幌300㎞)!! [活動報告]

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認知症の本人Kさんと一緒に、町田から1泊2日で参加してきました!総勢150名の認知症本人とサポーターが総距離300㎞をマラソンでタスキをつないでいくといった企画。

杖歩行のおじいちゃん、若年認知症の元気なお父さん、チアガール?のおばあちゃんまで、在宅や施設に関係なく、皆で走って皆で応援して皆でゴールした。

タスキには一人ひとり名前を書いて、150人分の汗を受け止め、想いをのせて、ずっしりと重くなっていた。

私とKさんが受け持った距離は1㎞。これが意外と長い。普段の運動不足もあるが、北海道の道が真っ直ぐということもあり、次ランナーが見えているにもかかわらず中々たどり着かない。Kさんも途中歩いて、また走っての繰り返し。

それでも何とかタスキをつなぐことが出来た。

給水ポイントでは皆さんに対し「今日はマラソンということで・・・、え~、皆で頑張っていきましょう!!」とKさんから挨拶も頂き、力が湧いた。

syugo.JPG←走る前にパシャっと。

当初、Kさんは参加に乗り気ではなかった。男2人旅で北海道に着いても、どことなく雰囲気が暗い。そこで魔法の一言。

「Kさん、夜のすすきので前夜祭しますか!」

この一言でKさんの目が輝いた。元営業マン、夜の街遊びは詳しい。「北海道は初めてだね」と言っていたにもかかわらず、すすきのではズンズン前を歩く歩く。

お腹が空いたので札幌ラーメン、餃子、ビールで満たし、いざ再出発。

そこは金曜日の夜、すすきの。人が溢れ返っている。そしてKさんの目は一段と輝いている。そんな中、何とか健全そうなお店に入ってビールを飲んで満喫。

酔っ払いながらテレビ塔の前を通ると、光り輝いていた。「明日はマラソン頑張るぞぉ~!」と二人でテレビ塔に叫び、ホテルへ戻る。

tvtou.JPG

本当ならば、夜は念のためにKさんが寝るまで起きていようと考えていたのだが、ビールによってK.O負け。

あっさりと自分が先に寝てしまう。zzz。。。

気が付いて起きてみるも4:30。 

Kさんは、町田で散歩中によく遠出をされてしまうのだ。脳裏に「ひょっとして!?」と思ってKさんのベッドを見てみると・・・、

メガネをしっかり枕元に置いてスヤスヤ・・・。布団もしっかり掛かっている。私とは比べ物にならない程。

私は布団も枕もベッド下に落ちていて、イビキがひどい。

まぁ、「こんなもんか。」と再び爆睡。

マラソンの後、北竜町から友人の中村さんと杉山さんが会いに来てくださり、何と新千歳空港まで送ってくれた。しかも空港でビールまでご馳走してくれて・・・感謝。

何だか、北海道に男2人でビールを飲みに行ったような・・・、それでもゴールはゴール。Kさんも今回の旅行?マラソン?すすきの?ビール?「良かった!」と言っていたし、結果オーライ!!


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